物の価値と私の価値がつりあわない
こんにちは、初めてご相談させていただきます。
私はそこそこの家に生まれた末っ子で、生きるのに何不自由ない生活をさせていただいてきました。
しかし、最近は、父が私に与えてくれるものの価値に私自身が見合っているのかと思うようになったのです。
父と母は私に出来るだけ良いものを与えてくれようとしてくれます。靴や服、アクセサリーなどです。恥ずかしながら大学生にもなって、家族で出かけたときは父に服などを買ってもらうのですが総額が10万円を越してしまうこともしばしばあります。
先日は誕生日プレゼントにと10万円ほどのペンダントを頂きました。
正直、兄や姉が父から貰っていたプレゼントよりも一つ一つの値段は高いと思います。
私は兄のようにしっかりとした計画を持って就職活動を行えていませんし、姉のようにしっかりとした男性と結婚することも(今のところ)出来そうにありません。
私は一年ほど前から心の具合が良くなく、ずっと病院に通っていて、授業を休んでしまうこともしばしばあります。
就職活動を控えた今でさえきちんとした自分の軸すら危うく、どうしようもない人間です。
私は愛されて、その愛の分だけ色んなものを頂いてきたのに、それに見合うものを残さない自分が情けないのです。
父が私に高級なアクセサリーを与えて、兄嫁にそこそこのバッグを渡していたとき、私は思わず赤面してしまいました。
兄嫁は素晴らしい人で、二人の子供を抱えながら節約をしていて、その上で丁寧な暮らしをしています。身内ながら良妻賢母というほかありません。
この素晴らしいアクセサリーは本来なら兄嫁にこそふさわしいのです。
私は自分の価値が身につけているものにつりあわないと思い、恥ずかしくなったのです。
自分は生きているだけで恥ずかしく、みじめで、どうしようもなく情けないのです。
いっそのこと死んでしまいたいのです。しかし、私は宗教の都合上自殺が許されません。死んでからも居場所がないなんて耐えられません。
でも私が社会に対して何が出来るとも思えないのです。私は偉大なる先人たちのような価値は例え2回人生を過ごしたって到底持ち得ません。生きていても死んでいても意味のない存在なのです。
生きていてごめんなさい。死ぬことすら出来なくてごめんなさい。生きているだけで人に甘えていてごめんなさい。逃げてごめんなさい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そう思うのであれば・・・・
メイティさん、こんにちは。
素晴らしい親の愛に包まれて過ごしてきたのですね。でもそれはあなたの力ではありません。親の愛ですから、親がいなくなればいつかなくなるものです。
学生時代まではお世話になる期間です。社会人になって自分でお金を稼げるようになってから、初めて恩返しもできるのです。自分に不釣合いなものをもらったと思えば、使わなくていいでしょう。売ってしまって、恵まれないところに募金してもいいのですよ。
今できないなんて当然なのです。そんなことで悩んでいるのであれば、今は一所懸命勉強して立派な社会人になるために努力してください。生きているなんて甘えなんて思っている時点で甘えです。死ぬぐらいの気持ちならどんどんボランティアしてください。あなたの協力を必要としているところはたくさんあります。大学にボランティア部もあるはずです。あなたの宗教ではそう教えないのですか。少しでも甘えていると思うのであれば一所懸命努力すればいいのです。恩返しは卒業後です。
前に進みましょう。いつでも辛かったらご相談を。がんばって!合掌
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
そうなのです。私は幸福にも両親から素晴らしい愛を受け取っているのです。いつかなくなってしまいのが心から恐ろしいくらいに。
アクセサリーは、売ってしまうのは流石に申し訳ないので、私が「つけられる」と自信を持って言えるようになるまで取っておくことにしました。
私などが社会に対してどんなことが出来るのかはまだ分かりませんが、まずは身近な人への恩返しのために努力したいと思います。
手の届く範囲の幸せを目指していきたいです。
思ったよりも「喝」だったので驚きましたが、前向きに頑張る気持ちを頂きました。
ありがとうございます。