母の死
認知症の母を亡くしました。
私が目を離したすきに、室内の事故で、です。
直前まで元気だったのに、突然でした。
母と一緒にいることや母の回復に喜びを感じる一方、私が自分勝手な父の要求をきかないといけないことや自分の時間がなく、社会から遅れていくことに不安や怒りを持っていた、こう言う気持ちが結果的にこのような結果になったと、何処に気持ちを持っていけばいいか、辛くてたまりません。
実生活では時間や家事に追われ、辛かったですが、こうなると世話をやらせていただいていて、一番幸せであり、もう二度とお願いしても大金をはたいてもやらせてもらえない。大事なものは身近にあったのに、それを活かせなかったじぶんにも後悔しかありません。
これからも私のいのちあるかぎり、いきていかないといけないですが、寂しすぎて私も母のところにいきたいし、ダメならこれからどうやって、何をして生きていけばいいのか、全くわかりません。
突然だったので、子供の頃から今までのこと、謝ることもお礼も言えなかった。全て、後悔しかなく苦しくてたまりません。
せめて夢などで話せたら…ただ、出ても来てくれませんが…
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在宅でしたか
後悔しない人生はありませんが、
後悔を忘れない人生もありません。
あちらの世界へは簡単に行けます。
ですが、あなたは私と同じ40代。折り返し地点です。黙っていてもしばらくしたらあっちへ行ける年齢です。
僕は常に死ぬことを考えて生きてきた人間です。きっかけを探して生きてきました。
辛いことしかないと思っていた10〜20代。
幸せになる資格などないと信じた30代。
けれど、気がつけば48歳。
それなりに辛さや悲しみを忘れさせてくれる瞬間があったのでしょう。
残酷なようですが忘れることです。
やがて納得できるかたちで思い出すことができるようになりますよ。
来年1月は父の一周忌。
最期を看取った身内はおりません。
お父ちゃんを責めない
お母さんはお母さんで大変だった。
お父ちゃんはお父ちゃんで大変だった。
どっちも大変だった。
あなたも大変だった。
みんな大変なんだねぇ。
その大変さは比較できない。
お父さんお母さんもその前のお母さんお父さんたち4人の面倒を看てきた。
そして、あなたにその生命、人間の生命のバトンを渡して安心して死んでいった。
ありがとう、と言っていると思うよ。
お母さんにとって大事だったお父ちゃん。
お母さんの存在は大きかった。
だけれどもお父ちゃんをたのんだよ、と言われているはずです。
そのお母さんの期待を感じてください。
お母さんが一生かけて添い遂げてきた、お父ちゃんを軽んじることなく、お父ちゃんのせいでと責めることなく、お母さんの最後の頼み、頼まれを感じて、孝行、孝順の行を尽くしてください。
お父ちゃんを大事にすることで、お母さんを必ず感じるはずです。
質問者からのお礼
そうですね、気がつけば折り返し地点。
私もずっと辛いことばかりで、楽にはならない人生でした。なぜ自分だけこんなに苦しいのか、淡々と日々を送りながらも浮き上がりたいともがき、自由にならないことを家族のせいにもしていたのだと、どうにもやりきれない気持ちでいっぱいです。
忘れることができるときがくるのでしょうか?後悔と、家のあちこちに母の姿を思いだし、辛く、息苦しく、押し潰されそうてす。
それでも生きないといけないですよね。
全く人生観が変わってしまったし、楽しめないし、笑えない。少しでも前に進めるようになれればありがたいです。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
そうですね、父や回りへの恨みばかりで、自分だけはが大変だった、とだけしかかんがえられなくなっていました。それぞれが悲しいんですよね。
前を向かなければならないのですが、母に会いたい。一緒に散歩したい。約束した買い物にいきたい…
やり残したことばかり、まだ後悔し、寂しがり、涙する日々です。
シッカリしないといけないのはわかるのですが…
ほんとにありがとうございます。