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障害者の事業所に行くべき?

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有り難し有り難し 29

脳の障害のせいで、同世代の人より遥かに少ない量しか、家事・仕事ができません。
頑張っても工夫しても薬飲んでも、結局疲労感だけが残ります。
自己嫌悪が日に日に大きくなります。

こんな私は障害者の事業所に行くべきですか?

先日、姉家族が家に来た時に姪がゲームを持って来てくれ、みんなを楽しませてくれました。
普段は不機嫌で陰気で誰が皿を洗うかで諍いの絶えない家が、唯一平和になった時でした。

その時は楽しいなと思ったけど、今思えば、大人である私や姉などでなく、場の盛り上げ役を小さな彼女に負担させて、自分が情けなかったと思います。

最近、私の父母も恐らく私と同じ障害があるのではと思い、なぜ児童期の自分が親に甘えられなかったか、なぜ子どもの私がおどけることで、暗い家庭内を明るく励まし続けなければならなかったか、が分かった気がします。

子どもが大きな部分では安心感を与えてもらうことは、精神的に健全な親の役割らしいです。(そりゃ親自身の認知機能が正常なら自然と沢山の愛情をかけると思います。)

障害に無自覚なうちに自己嫌悪だけ大きくして、でもそれで迷惑被るのは本人よりも、そういう人間(心に余裕がなく人生を恨む内向きな人間)に育てられた子どもだと思いました。

私の父母は多分脳に障害があって(家事スキルや整容の意識が信じられないくらい低いし発言がズレてる)、やはり同じ障害のある私に昔から全ての罪(不機嫌な感情)をなすりつけて、現在もどこ吹く風です。そうやって生きてきた人達。もはや皮肉も通じません。

私みたいな人間は、素直に障害者の事業所にお世話になった方がいいですか?

医学的に脳の障害があると分かったのが最近で、自分を障害者だと思いたくないのです。
しかし、姪と遊んであげるどころか盛り上げ役と言う負担をかけたのだし(しかも家族中で)、もう我を張るのを止めて、自己嫌悪で陰気にならないで、素直に障害者として生きた方が良いのかと。

心に余裕のある人じゃないと人を楽しませる事やフォローするなんて本当はできないですよね。私は自分にイライラするのに疲れました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

障害の正しい理解があれば、同じ社会で 一緒に生きていける。

ん〜 子どもに場を盛り上げてもらった、とそこまで深く考えなくてもいいと思いますよ。
どちらかと言うと、今のゲーム機が、家族みんなで楽しめるようなものであって、みんなでゲームをして時間を過ごした感じですよね。

子どもの存在は、周りを明るくします。
あかちゃんがいるだけで、なんだかホッコリ笑顔になっちゃうのと同じで。子どもには、皆、優しい接し方をしますから。
あなたがするべきことを、子どもに背負わせたと考える必要はないのですよ。

また、いろんな親子関係があっていいと思います。障害があったのだなと思えば納得出来たかも知れないけれど、子どもの頃の あなたには、辛い経験になってしまったのですねぇ。あなたを認め愛されることは、これからだって、きっとありますよ。障害があっても、出来ることもあります。その障害を理解すれは、その部分を周りがサポートしてくれたら、あなたにだって、出来る役割、仕事があります。

私は、障害者サポートをしていますが、確かに出来ない部分もある。でも、その障害の正しい理解があれば、同じ社会で 一緒に生きていけるんです。事業所は、そんな立場の人の理解があり、仕事の紹介や、サポートもしてくれると思います。仲間との出会いがあるかもしれません。

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有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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障がいとその場を盛り上げることとは関係ないと思いますよ。
私も盛り上げるのは大の苦手ですし、妻も上手くはないですし、むしろ子供の方が盛り上げてくれます。
ですから、これまで通り自分にできる範囲でお仕事を努めてくださいね。
もし障がい者施設で今よりもいい条件で働くことができるなら、それもいいと思いますよ。
お釈迦様は、人はみんな病気であると言われました。私たちは物事を正しく見る、正しく考える、正しく行うことがなかなかできない煩悩病なのです。
その上で、自分にできる範囲で努力するしかないのです。
あなたはこれまで努力してきました。
それは間違っていませんよ。
無理して場を盛り上げなくてもいいのですよ。
ですから、ご自分にイライラしないでくださいね。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございました。

自分の親を悪く思ってはいけないと、一生懸命自分に嘘ついてきました。

でも職場で、明るく世話好きなおばちゃん達が(子育て孫育て介護、体の痛みで本当は大変なのに)、利用者さんや周りのスタッフに気前よく安心感や愛情を与える姿を見て、カッコいい‼︎と思いました。

家族への愛溢れる話も聞いてて楽しいのです。依存的なうちの母とは「愛」の中身が違うので全然苦しくならない。

やっと世間の言う、社会や人間や命への信頼が持てる、だから子育てに愛情を注ぐのが大事という言説を、体全部で理解しました。

そして、過去私に親の顔が見たいとか、会話のない家で育ったんだねとか、両親がラブラブで困るとか私に言ってきた人の、言葉の意味が分かりました。

健全な愛が家庭や社会に必要だけど、そもそもそんな形の愛があることさえ、私は知らなかった。

生まれながらに愛に溢れた環境を得られた子どもは自分や他人の命への信頼を持てるでしょう。
でも私のように、冷たく暗い家庭で育つと、心に嘘ついて良い子ちゃん演じなきゃいけないから何かが歪みます。

10代の頃は親への殺意を抑えるのに苦労しました。私の存在を認めないこと、私を排除しようとすることへの怒りです。思い留まったのは、自分を殺人犯にしたくないという気持ちだけでした。まだ未来があった頃です。

このまま私が家に居座れば、何十年か後には、一家無理心中かもしれないので、この家を出たいです。
だから障害者枠だとしてもフルタイムで働けるようになりたい。でも興味関心のない職種では無理があるしで、死ぬしかないかなとか堂々巡りです。
自殺への恐怖を乗り越えられたら全てが解決ですね。

仕事を辞めずに頑張ってこれたのは、こちらで何度となく回答を頂けたからです。

信心深くない私ですが、人間理解への足がかりとして、いつも回答はしっかり読んで考えています。

いつか今より少しでも、ほんの少しでも、人を見る目が変わって、世界への恐怖を減らして行きたいです。

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