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ひきこもり

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有り難し有り難し 16

ひきこもりで不登校の中学生の息子の事です。
「他所の人と話したくない。外に出たくない」とひきこもって3ヶ月。
お風呂も歯磨きもできず、成長期にして日に1食しか食事もできません。いろいろ作ってみるのですが、口にするのは好きな物を少しだけ。
「別に生きていても死んでしまっても構わないから」というのが本人の言い分です。
私はシングルマザーで生活のために仕事に出ていますが、仕事を辞めてずっとそばにいるべきなのか悩みます。
心療内科に通わせていますが、その通院に外出するのが精一杯です。学校も外出も無理に勧めることはやめました。
「生きていく事はそんなに悪くない」と実感させてやりたいのですが、どうすれば心に届くのでしょうか…。
よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

未来は変えられる

息子さんは、普段の生活で楽しいことはないのでしょうか!
テレビやマンガ、ゲーム、ネット等は何もやってないのでしょうか?
日々の小さな娯楽も大事だと思います。(そのせいで昼夜逆転になってはひきこもりの原因になりますが。)

また、未来への期待も大事でしょうね。
思っている以上に人は変われるのです。
違う環境に行けば性格も変われる可能性があります。
義務教育が終わってバイトでもできれば、小遣い増えて好きなものを買えたり、お母さんと温泉くらい行けるでしょう。
義務教育終わったら世界が変わる、大人になればさらに楽しいことをみつけられる、人間は変われる、と伝えてあげたいですね。
悩んでいる人は、今の自分がそのまま変わらないと思ってしまうのかもしれませんが。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

謝ってみましょう

本当に折れてみることです。
子供は子供の判断で生活しています。
やりたくないことは無理してあらせなくていいのです。
親御さんとして何かお子さんに強要してしまったたことがあったらそこは謝ってください。
後はお子さんが恐れていることが何かを明確にするべきです。
それは自分が傷つきたくないということ。
自分の想いにおびえている。
実際の相手ではない、過去に傷ちたことの再発を恐れているということ。
そこを明確にしてあげてみてください。
そこを一緒に解決してあげればイイのです。
そこを解決せずに、学校に行かそうとしても無理というもの。
お子さん自身が、何を恐れているのかを語れるように、あなた自身がお子さんを責めるような言い方、お子さんが嫌がるような変化を促す言い方をやめることです。
結婚したら?結婚しないの?結婚すればいいのに、とやたら口にする人がいます。
「出来たらとっくにしてるっつの」という心理を分からずに、相手に変化を求めるような事は控えるべきです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

願誉浄史さま
人は変われる…そう思わせてやりたいです。
そのためには、先ずは私自身が変わってみせる、日々楽しく暮らしている姿を見せる…そのような方法を考えてみました。
日々の生活に追われ、息子のことで悩み、なかなか楽しい生活は難しそうですが(笑)
回答ありがとうございます。

丹下 覚元さま
回答ありがとうございます。
強要してしまったこと…それは離婚して私が家から連れて出てしまったこと。それが最大の強要であったと思われます。DVから逃れるため致し方なかったと思いますが、やはり子供の心に大きな傷を負わせてしまったと思っています。
それから数年、子供は新しい生活に慣れつつあると思っていましたが、やはりそこが原因なのでしょうか。当時謝ったこともありますが、やはりその時にはその選択しかありませんでした。

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