落ち込んでいます
今日はとても落ち込んでいます。
今年はとても体調が悪く、既に7回通院しました。
体のあちこちが不調で、脈も乱れていて、ほとんど横になって過ごしています。
寝込んでいると心配なことばかり頭に浮かびます。
孫や娘は元気かしら、高齢の母はどうしているだろう、私は元気になれるだろうか…等々。
お坊様方は、1日1日を大切にしなさいとよく言われます。私もそう思って生きています。
でも今日みたいな日は、何をどうして生きていけばいいのか分からなくなります。不安で心が乱れます。
どうか ご助言をお願い致します。
病気に負けてしまいそう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
南無阿弥陀仏
体調不良が続くと心までも落ち込み、乱れてしまいますよね。お見舞い申し上げます。
良寛さんという有名なお坊さんがいます。良寛さんはご友人の地域が大震災にあった際にお見舞いの手紙を送りました。手紙には次の一文がありました。
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候
一見冷たい言葉に感じますが、ご友人には良寛さんの気持ちが伝わったのではないでしょうか。
頑張れ
大丈夫
いつかまた良くなる
気休めの言葉は耳障りはいいかもしれませんがまさに気休めです。言った側は満足するかもしれませんが言われた側は本当にそれで満足するでしょうか。自分の状況をあきらかに知っている者ほど気休めの言葉ではもう救われないでしょう。
「いつか」と言われてもそれがくるかどうかは本人がよくわかっています。「大丈夫」と言われても本人が大丈夫でないなら大丈夫ではありません。
いくら頑張ってもがいても状況が突然劇的に改善するわけでもありません。
それならば「今の事実を受け入れなさい」ということなのでしょう。
しかし今が苦しいから困っていると思いませんか?でも実はそうではないのですよね。今が受け入れられず今のままじゃなくあろうともがくから苦しいのですよね。
今・この身・このまま
に目覚める方法論が説かれるのが仏法といっても過言ではないのかもしれません。良寛さんは曹洞宗の禅僧さんですが、私にとっては災難や死を受け入れる私を目覚めさせてくれる教えは「南無阿弥陀仏」のお念仏です。
阿弥陀様は「そのままでいいよ」と条件をつけず私を包みます。お念仏はそんな阿弥陀様からの「そのままでいいよ」の呼びかけです。
呼びかけられても私は災難を受け入れる心が得られるわけでも、死の前に心乱れることがなくなるわけでもないでしょう。
どこまでも不安・不満を抱え、愚痴を吐き、迷う存在でしょう。それでもその私を「そのまま」救うとの呼び声によって「受け入れられない」と「今・この身・このまま」が両立するのかもしれません。私の「心」でなく「私そのもの」「存在」が救われるのです。
これは理屈ではありません。理屈で人は救われないのですよね。やはり理屈を超えた信仰がそこにあるのでしょう。
もちろん「南無阿弥陀仏」においては私が信じるのでなく、阿弥陀様が私を信じているのですが。
本を読みましょう!ラジオを聴きましょう。
うるるさん、こんにちは。
体調が悪いのですね。お見舞い申し上げます。
年齢的なものも含めて、人の体はどんどん悪くなります。でも心は自分で自由にできるはずです。そして心の影響で体の体調は変化します。
元気にポジティブに生きてください。そのために、心がワクワクするような生活をしましょう。一つは本です。あなたの好きな本をどんどん読んでください。テレビでもいいですが自分で考え頭でイメージできる本は心の栄養剤です。そして本を読むのも辛い状況であれば、ラジオをお勧めします。ラジオもまたテレビと違い、いろいろと頭の中で考える力がつきます。そしてパーソナリティがあなたの大切な友達になるでしょう。私もラジオ大好きでいつも聴きながら生活しています。
まだまだ大丈夫!心で病気を進行させないでください。病気のご回復をお祈りします。合掌
楽しさと、しんどさは表裏一体
拝読いたしました。
しんどいですね。
今年になってから7回も通院されたとの事ですが、相当悪いのでしょう。
しかし、年明けは誰に限らず、体調が悪くなりがちです。
ずっと寒い日も続いていますし。
脈の乱れも、不安でしょうね。
ゆっくり横になっていてください。
どうしても不安ならば病院は開いています。
今日は平日です。
「毎日を大切に生きる」
じゃあ、こんなしんどい日は何をどうすればいいのかという事ですが、今のしんどいご自身と向き合って下さい。
日の光に照らされれば、必ず影ができます。
それと同じく、楽しい日があれば、必ずしんどい日もあります。
今日は「影の日」です。
ですので、これは楽しい日の準備期間だと感じ、向き合っていただきたいのです。
この世は苦の連続です。
逃れたくても、いっこうに逃げきれません。
楽しい日が一生続けばどんなにいい事か。
私は、そんな事を漠然と望み、そしてそれが叶わないことだと理解し、苦しみます。
しかし、太陽に照らされて影ができなければ、「私」という存在はないはずです。
今日は影の日。
だからこそ、そこには、うるるさんという一人の人間が存在する。
そのように感じ向き合い、今日という日を過ごしていただければと、少なくとも私は、そう思います。
質問者からのお礼
吉武文法様
ご丁寧なお返事ありがとうございました。
何度も読み返しております。
今・この身・このまま という言葉が心に残りました。
不安ながらも、気持ちが少し落ち着いてきました。
もう一度ゆっくり読んでみます。ありがとうございます。
染川智勇様
お返事ありがとうございます。
1人で考えていますと、ネガティブになっていけませんね。
ラジオを聴いてみます。CDで音楽は流していましたが、ラジオの方が色々情報が入ってきて、きっと良いのですね。ありがとうございました。
海老原学善様
お返事ありがとうございました。
私も この世は苦の連続だと思います。
ですが、確かに日に照らされる時もあります。それは苦痛がなく、ご飯も美味しく食べられた日。元気な人には当たり前のことを私は幸せに感じられる喜びもあるのだと、今自分に向き合って気付きました。