彼が自殺した場所に行くのは止めるべきでしょうか?
彼は、某神社で自分の命をたちました。
どうしても彼を感じたくて毎週週末にその神社に行き、どこかで見ているかなーと想いながら参拝して帰ってきます。でも、彼にとっては辛い場所でもあるので、私がその神社で彼を偲ぶのは、彼は喜ばないことなのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
千の風になって
彼はそこにはもういません。
お墓にもいません。
あなたの周りにいます。
千の風になってという歌がありますね。
あの歌のように、あなたの周りにいます。
ですからそこの神社に行かなくてもいいのですよ。
目を瞑って彼のことを思い出してあげましょうね。その方が彼も喜ぶと思いますよ。
雪道を歩いて神社に通って、途中で寒い思いをしてたら、彼は心配しますよ、きっと。
お心次第で
交通事故の現場、災害の現場、理不尽な事件の現場…よく花を手向けてありますね。それだけの人がその場所を訪れているということです。もし亡くなった人が嫌がるなら、そんな習慣はお坊さんが止めさせています。
行きたいなら行ってあげて良いんですよ。
行くまいと思えば行かなくても良いんです。
まだ49日も迎えてないか迎えて間もないかくらいでしょう。あなたの素直な気持ちを素直に形にのせてあげればいいんです。(お花やお供え物は神社的にN.G.かもしれませんので慎重に。)
49日までは毎週末、1周忌までは月命日に近い週末、喪明け以後は年一回の命日に近い頃というように、区切りをつけてみてもいいかもしれませんね。
前回のご質問で宗派は曹洞宗とおっしゃっていますが、曹洞宗は念仏をする宗派でもなければ阿弥陀さまの救いを求める宗派でもありません。
「威儀即仏法・作法是宗旨」(いぎそくぶっぽう・さほうこれしゅうし)と言いまして、私たちの行いの1つ1つがご供養になるという宗派です。足を運べば運んだなりのご供養、手を合わせれば合掌なりのご供養、あるいはご自宅で出来ることをなさっても同じだけのご供養です。
料理をして、ちょっと手を合わせて彼氏さんを偲び、それからご飯をいただいても料理というご供養であり、お供えというご供養であり、食事というご供養なんですよ。
彼はいつでも喜んで下さいます
拝読させて頂きました。
大切な方を突然亡くされてあなたも大変悲しい思いをなさっておられることでしょう。
あなたのその深い悲しみを心よりお察し申し上げます。
そしてその方が速やかに仏様に導かれて仏様の元で一切の苦しみから解放されて心から安らかになれれます様にと仏様にお願いしお念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
その方は必ず仏様に救われ導かれ心から安らかに穏やかになられます。
そして一切の苦しみから解き放たれて円満な心でご成仏なさるでしょう。そしてこれからもあなたや皆さんを優しくお見守りなさって下さることでしょう。
悲しみは尽きない事でしょうけれでもどうか彼が仏様に正しく導かれて一切の苦しみから救われて心穏やかに安らかになられます様にとあなたも仏様に手を合わせてお願いなさって下さいね。そしていつでも彼を思い真心込めてご供養なさって下さいね。
彼はこれからもあなた身近に見守り続けて下さいます。どこにいてもどんな時でもです。
あなたと彼とのご縁はこれからもずっと続くのです。
あなたがその場所に行ってもその場所でなくてもあなたが彼を思うならば彼はそのお気持ちに寄り添って下さいます。いつ如何なるところでもあなたの思いは必ず彼もとに届いていくのです。あなたが心から思いご供養なさって下さることを彼は心から喜び感謝なさって下さるでしょう。
そしてあなたがこれから健やかに生き抜いて行く事を何より願っていらっしゃるでしょう。
いつの日にかあなたがその生を全うなさる時が参ります。その時どうか仏様に手を合わせて己を正しく導いて下さい、そして彼に再びめぐり合わせて下さいとお願いなさって下さいね。
仏様は必ずあなたを正しくお導きなさって下さり、そして必ず彼に再会することができるのですからね、そして再会を共に喜び合うことでしょう。
それまでどうか彼に見守っていてねとお願いなさりご供養なさって下さいね。
質問者からのお礼
回答してくださったお坊様方、ありがとうございます。涙が溢れてきて、なかなか読めませんでした。
自分の気持ちが未だに落ち着かず、彼は枕元にも現れないし、夢にも出て来てくれず、寂しくて寂しくてしかたありません。
でも皆さまかおっしゃる通り、彼を想い偲ぶことで供養となり、彼にちゃんと私の気持ちを届けていきたいと思います。
彼が亡くなった場所に行きたくなる気持ちは無理に押し込めず、落ち着くまで…と思っています。
ありがとうございました。