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生花のこと

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有り難し有り難し 16

はじめまして。よろしくお願いいたします。

生花をお供えしておりますが、このごろは花が痛んでいく様子を見るのが悲しくてなりません。当たり前のことなのですが、悲しいです。

表から見てまだまだきれい、大丈夫だと思っていたのに、花の裏はもうすっかり変色してしまっていたことがありました。亡くなったときのことを思い出し、とても寂しくなりました。

水をかえ、茎を切り戻しながら、できるだけ長くそこにあって欲しい、行かないで行かないでと思ってしまいます。
こんな気持ちで花をお供えしていては供養にならないでしょうか。時間が経てば感じ方も変わってくるかとは思っているのですが…。

うまくまとめられず申し訳ありません。よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

花を供えるというは

「お香をそなえるというは諸行無常の理をそなえるなり 香の煙も無常を示し 我が身心もまた無常なることを覚するが為なり 共にこの仏のことわりを分かち合い 真実の道理に目覚め正覚・悟りに導かれゆく功徳を分かりあう故に 供養(ともに養い合う)と申すなり」了叡語録より

花を供えるというも、また香りをそなえる事であり、無常無我の理(仏の教えの道理)をそなえている訳です。ただ花を供えている人が多いですが、それを死に仏教というのです。
仏のやすらぎの心を、無常、無我、空なる様子を、花の美しさ、香りが、さまが象徴している訳です。
花を供えるという事は、そういう人間的なはからいを卒業してゆくための仏道の道理を味わうことであります。
花は泥の色にそまらざる心 不染汚 無執着 空華なるさまです。
人間の考えや感情を超えて、存在しているのです。
あなたにとっては「枯れて哀しい」と映るかもしれません。
他の方にとっては「アラ、そろそろ変え時ネ」で済んでいる人もいます。
私は毎日、庭掃きに追われていますが枯れゆく落ち葉を「かなしい」と感じた事はありません。しかも、おそらくそのお花の質量の数百倍の量を取り扱っています。
思いに騙されてはいけません。
あなたが、その花の枯れたさまを観て、おとろえ、滅、消えゆくことを(観)感じただけのことなのです。それは考え越しに物事を眺めた無明の煩悩というもの。
花屋さんが、花を観る時にそのように観るでしょうか。もしそうであれば花屋さんは日々レジ打ちで暗い表情で、元気がなくしおれているでしょう。
あなたもその花を観て、そう思う一秒前まではそんな事をこれっぽっちっちも考えていなかったはずです。
それが、人間の観念の眺めなのです。
花を観て美しいと思うもの
ねたましいと思うもの
めでたいと思うもの
もの哀しと思うものあり
花は人の思いを超えてただ咲き、ただ枯れるのみ。 喝

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の提唱 「菩提心をおこす」 菩提心をおこすということは、たとえ...

質問者からのお礼

ご回答をいただきありがとうございました。
喝を入れていただくのがこんなにありがたいものだと今まで知りませんでした。なんだかふわふわとして、どの方向を向いたらよいのかわからなくなっていたのです。お言葉を読みながらもまだ涙が出てきます。執着を手放すことができません。人間的なはからいを卒業するのは私には難しく、時間がかかりそうですが、いただいたお言葉をこれからも味わいながら、少しずつでも学んでいきたいと思います。

「供養の仕方」問答一覧

実母の一周忌をしてあげられません。

母が急死して1年になろうとしています。 1年前もここでお世話になり「母が許せない」と吐露してしまいました。 母にとって私は「感情のごみ箱」でした。気に入らないことがあると怒鳴ったり、暴力もありました。亡くなる直前まで近所の人にも私を悪く言っていたらしく、鵜呑みにした近所の人に電話で抗議されたこともありました。 母は父とも不仲で、そして私の兄も気に入らないことがあると警察のお世話になることをしてしまうので(軽度の知的障害)捌け口がなかったのだと思います。 今も許していません。でも気持ちの変化はありました。今考えると母は全てに余裕が無かったのだと思います。なぜそう思ったかと言いますと更年期障害とコロナが教えてくれました。 私は難病を患い癌の経験もあります。きっとそう長くはないでしょう。その上、最近、更年期障害の症状が出てきました。さすがに辛いです。年齢を勘案すると母が私に最高潮に酷い仕打ちをしたのが今の私の年齢ぐらいです。想像するに心身共に辛かったのかなと思います。 コロナの件ですが、見えない敵の前では人は体は勿論のこと、時には心も冷静さを失ってしまう。私は難病を罹患して3年後、癌になり死が現実化したときに自分の弱さに愕然としましたが、私以外の方も「当たり前の日常」が当たり前でなくなったとき、自分の弱さに向き合えず苦しむ方もおられることに気づき、普通の夫と息子じゃなかった母も苦しかったんだろうなと思いました。 そのことに気づいたとき霊を慰めてあげたいなと思うようになりました。 でも出来ないのです。私は実家側に味方が1人もいません。親戚・近所・菩提寺の住職にも「お母さんとお兄ちゃんを苦しめた悪魔」で知られてるらしいですから。←はっきり言われました。 それに兄の成年後見人さんには私の病気のことや、兄が私にしてきたことを理解してもらえず、兄のことを任せようとしてくるので1年前「相続放棄」の書類と「今後私は兄に関わりません」と一筆書いて送ってしまったので、実家には近寄れません。 命日の日の出ギリギリに実家の近くまで行こうかなと思いましたが、自分の身体が頑張れる自信がありません。私が出来ることは「辛かったね。ゆっくり休んでね。」と母の写真に手を合わせることぐらいです。これぐらいで母は浮かばれませんよね。私はどうしたら良いと思われますか?教えてください。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

お祈りの仕方がわかりません。

私は、作家さんや声優さん、役者さんの訃報を聞いて、ご冥福をお祈りしますと手を合わせることがあります。 訃報を知ったとき、お祈りもしないなんて酷いのではないのかという観念のもと動いています。 お祈りをしている最中に「心が入ってないのではないか。」と考えてしまいます。ついお祈りをしている最中なのに他のことを考えてしまうこともあります。 「ご冥福をお祈りします」と心の中で言えた時、上手くお祈りができたとき、心はほっとしています。私は頭の中を制御できません。勝手に酷い言葉が浮かび上がることがあります。口に出さなければ相手に伝わらないので普段は声に出さないように努力していますが、お祈りとなると心の声も全て聞こえてるのではないかと不安になります。 お祈りをしているはずなのに、私の心の声が届かないで欲しいと思ってしまいます。私がお祈りしていることを知らないでほしい、私の存在なんて知らないでほしいと思います。 これから、身近な人の死が訪れたとき、こんな恥ずかしい気持ちを抱えながら、上手くできるか不安になりながらお祈りをするのかと思うと嫌になります。 自分のことじゃなくて、相手を思いやったお祈りができるようになりたいです。また1度失敗してしまったお祈りをした方に、今度は誠実にお祈りしたいです。失敗したお祈りは、どうか誰にも届かず消えてほしいと思います。

有り難し有り難し 12
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供養の仕方を教えて下さい

先月夫がなくなり、夫とは離婚したくなかったのですが、夫の親族とは1日たりとも関わっているのがいやで、でもせめて夫の葬儀が終わるまでは夫の姓でいたくてそうしましたが、今月になり婚姻前の戸籍に戻しました。 自分の実家に帰ってきたので夫の遺骨は手元にはありません。あと夫の実家に行く事もないかと思います。そうした場合、どのような供養の仕方が良いのでしょうか?私なりに、出来るようになったら夫の写真立てを用意してそこにお揃いで使っていた湯呑み茶碗にお水を入れて手をあわせようと思っていますがそれで大丈夫でしょうか?今はまだまったく何も手につかず写真の準備どころか1ヶ月前の荷物がそのままです、ダンボールのまま。 毎日色々な感情になります。今は夫が自殺したのは自分のせいだと思っています。私の事を自慢の妻、宝物の妻といって大切にしてくれた夫を最後救う事が出来なかった。最後の電話で、もう信用できなくなった、責任取ってよ…等とひどい事を言ってしまった。1番助けてあげないといけない存在だった私が1番傷つけてしまった…優しすぎる夫にしてみれば私の言葉はほんとにきつかったのだと思います。許してもらえるなんて思ってませんが、謝る事も出来ない、責められる事もない…どうしたらいいのか分かりません。毎日毎日ずっと夫に謝っています。 今私は両親に見守れながら過ごしていますが、私の状態をみて同じく苦しんでいる母親をみるとまた更に自分の存在が憎くなります。自分がいると自分の家族にすら迷惑をかける、だからって夫と同じ事をすると同じ苦しみを与える事になる…もうどうしていいのか分かりません

有り難し有り難し 21
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