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生花のこと

回答数回答 1
有り難し有り難し 16

はじめまして。よろしくお願いいたします。

生花をお供えしておりますが、このごろは花が痛んでいく様子を見るのが悲しくてなりません。当たり前のことなのですが、悲しいです。

表から見てまだまだきれい、大丈夫だと思っていたのに、花の裏はもうすっかり変色してしまっていたことがありました。亡くなったときのことを思い出し、とても寂しくなりました。

水をかえ、茎を切り戻しながら、できるだけ長くそこにあって欲しい、行かないで行かないでと思ってしまいます。
こんな気持ちで花をお供えしていては供養にならないでしょうか。時間が経てば感じ方も変わってくるかとは思っているのですが…。

うまくまとめられず申し訳ありません。よろしくお願いいたします。

2015年12月3日 8:26

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

花を供えるというは

「お香をそなえるというは諸行無常の理をそなえるなり 香の煙も無常を示し 我が身心もまた無常なることを覚するが為なり 共にこの仏のことわりを分かち合い 真実の道理に目覚め正覚・悟りに導かれゆく功徳を分かりあう故に 供養(ともに養い合う)と申すなり」了叡語録より

花を供えるというも、また香りをそなえる事であり、無常無我の理(仏の教えの道理)をそなえている訳です。ただ花を供えている人が多いですが、それを死に仏教というのです。
仏のやすらぎの心を、無常、無我、空なる様子を、花の美しさ、香りが、さまが象徴している訳です。
花を供えるという事は、そういう人間的なはからいを卒業してゆくための仏道の道理を味わうことであります。
花は泥の色にそまらざる心 不染汚 無執着 空華なるさまです。
人間の考えや感情を超えて、存在しているのです。
あなたにとっては「枯れて哀しい」と映るかもしれません。
他の方にとっては「アラ、そろそろ変え時ネ」で済んでいる人もいます。
私は毎日、庭掃きに追われていますが枯れゆく落ち葉を「かなしい」と感じた事はありません。しかも、おそらくそのお花の質量の数百倍の量を取り扱っています。
思いに騙されてはいけません。
あなたが、その花の枯れたさまを観て、おとろえ、滅、消えゆくことを(観)感じただけのことなのです。それは考え越しに物事を眺めた無明の煩悩というもの。
花屋さんが、花を観る時にそのように観るでしょうか。もしそうであれば花屋さんは日々レジ打ちで暗い表情で、元気がなくしおれているでしょう。
あなたもその花を観て、そう思う一秒前まではそんな事をこれっぽっちっちも考えていなかったはずです。
それが、人間の観念の眺めなのです。
花を観て美しいと思うもの
ねたましいと思うもの
めでたいと思うもの
もの哀しと思うものあり
花は人の思いを超えてただ咲き、ただ枯れるのみ。 喝

2015年12月3日 10:26
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

質問者からのお礼

ご回答をいただきありがとうございました。
喝を入れていただくのがこんなにありがたいものだと今まで知りませんでした。なんだかふわふわとして、どの方向を向いたらよいのかわからなくなっていたのです。お言葉を読みながらもまだ涙が出てきます。執着を手放すことができません。人間的なはからいを卒業するのは私には難しく、時間がかかりそうですが、いただいたお言葉をこれからも味わいながら、少しずつでも学んでいきたいと思います。

「供養の仕方」問答一覧

名前も顔も知らない人に回向供養がしたい。

今、目の前の店舗内で人が倒れて、 10人ほど救急隊の方が処置と搬送の 業務に当たっておられました。 ポンプ車も来ていました。 やがて、救急車は10メーター程 けたたましくサイレンを鳴らして 走っていたのですが、突然、赤色灯だけ つけたまま、端に寄って停車、 ヘルメットを脱いだ救急隊員さんが 運転席から飛び降り、助手席の隊員さんに 何か声をかけて、また車に乗りました。 一緒に来ていたポンプ車も静かに 走り去っていきました。 しばらくすると、パトカーが来ました。 救急車はずっと留まっていました。 救急車のサイレンが突然止まった時は、 患者様がご臨終の時。と、聞きます。 まして、警察車両もいたので… まさにその通りかと思います。 私は当時、駅にいました。 人が多かったので、堂々と拝むことも できませんでした。 シャープペンシルで空中に、救急車を めがけてキリーク梵字を書き、囁き声で お十念を称えましたが、届いたかどうか 不安でなりません。 いま、様々な感情が私の体を駆け巡って います。お悔やみもそうですし、 業務に当たっていた隊員の皆さんは もどかしかっただろうとか、悲しかった だろうとか…。 顔も名前も知らない相手です。 どうすればいいですか。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

先祖供養について教えてください。

こちらで、質問及び皆様の回答など 拝読させていただきまして心のモヤモヤが 少しづつ晴れてきます。 この度もよろしくお願いします。 今回は先祖供養について、質問させてください。 私は母が未婚の母のため、実家とは疎遠になり、母の実家ももちろん実の父の先祖の墓参りをした事がありません。 私自身、結婚は出来ましたが、夫とは 一度離婚をして再び同居をしています。 その夫は現在、癌で闘病中です。 最近は病状が、さらに悪化している為 色々 先の事を考える毎日です。 近所のお寺の住職にお伺いという占いで度重なる不幸について、占っていただいた所、両家の〇日と〇日の先祖の供養がされていないとの事で、祈祷済みの御札をいただき神棚に入れ、毎日お参りしています。 離婚の際も姑との折り合いも元々悪い事もあり、夫の実家のお墓参りなど当然今後も出来ません。 宗派なども分かりませんが、許される事なら 夫と、私は現在の住まいから通いやすい場所にお墓を、立てたいと思います。 姑は現在も健在なので、もし夫のが先に亡くなった場合は骨を分けてもらうなどの話はしてもいいものでしょうか? 話し方としては、子供が通いやすいという理由で言ってもいいものでしょうか? 先祖供養とは、9月のお彼岸の時期に、お寺で合同供養祭などで、両家の名前を読み上げてもらうだけで、少しは気持ちが届いているのてしょうか? 聞きたい事がたくさんあって、話にまとまりがなく申し訳ありません。 私は自分の母の墓の用意と夫と自分の墓の用意を、して子供達の未来が 少しでもよくなるように、命の限りつくしたいと常々思っています。 子供の幸せを願うのは、親の使命だと思っているので、 出来る限り、私達が、被ってきた不幸を 絶ち、子供達には 世間並みの、幸せを歩んでもらいたいと思います。 思いが、強いばかりで何から手をつけていいか分からず、今回もこちらを頼りにさせていただきます。 長文で大変失礼しました。 どうかよろしくお願いします。

有り難し有り難し 29
回答数回答 2

供養の気持ち

先日こちらで質問させていただき、又ご回答いただきましてその際は本当にありがとうございました。度々になりますが、またご相談させて下さい。 母の同僚の方より、弟にお線香をあげさせてほしいと言われています。ありがたいのですが、私達家族はまだ心の整理もつかず、又その方は弟と直接面識のない方なのでお気持ちだけ頂戴します、とお断りしているのですが何回も言ってこられ中々理解していただけません。 昔から家族ぐるみでお付き合いのある別の同僚の方からも同じようにお話しして頂いたのですが、直接家に行ったら上げざるを得ないのだから、本人(母)にわざわざ言わないで、と返されたそうです。 弟の友人、葬儀に来られなかった身内の者には、事情を説明し四十九日の後で…お願いすると皆さん理解して下さいました。 先日、再度お線香をあげさせてほしい、母を励ましたい、と仰られたので、それなら食事の場を設けてもらった方が嬉しいとお願いした所、前出の別の同僚の方に母の休みの日に直接家に行こうと言われましたが、何とか食事会へと誘導してもらえました。その場で直接母にお線香すらあげさせてもらえへんのね!と言われたようです。お気持ちはありがたいのですが、お断りするのはそんなにも非常識なことでしょうか。 別用で自宅へたまたま来られた方がお線香をあげていただくのは構いません。歪んだ解釈かもしれませんが、何だか執着されているように思ってしまいます。 又、私の同僚は我が家の浄土真宗でのやり方を否定してきます。 例を挙げるなら、お坊さまがお線香や仏飯は遺された者に無理のない範囲でして下さい。気持ちが大事です、と仰られた事に対してそれは間違ってる、それでは供養にならない、手間かけないで成仏できるの?等です。以前も祖父の葬儀やお盆の質問に答えると、浄土真宗物知らずって昔の人は言うからな、と言われました。その方々の宗派は伏せますが、同じ地域の田舎の方です。お二人共悪意はないと思います。 家庭、地域、宗派で其々考え方や習慣が違うのは理解していますが、そんなに責められることでしょうか。私は恥ずかしながら疎いせいもあるかもしれませんが、違いはあれどもどの宗派も誤っているとは思いません。 今は出来るなら静かに悲しませてほしいです。 弟を思う皆が辛い気持ちですが、やはり両親は更に辛いと思います。そんな母に必要外の心の負担を負ってほしくないです

有り難し有り難し 9
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葬儀の後の弔問などについて

愛する彼女が先月亡くなりました。 家族葬でしたが、ご家族には良くしてもらい葬儀に参列させていただき、また火葬も参列させていただきました。 しかし葬儀後から今日まで52日経ちますが、その後お線香をあげに行けていません。 (ショックが大きくて仕事以外で外出できなかったため…が大きな理由ですが、お線香をあげにいく頻度だけが供養となるのか疑問だからです。) こんな情けなくて薄情者な自分に嫌気が差します。 こんなに日にちが空いてしまって、ご家族も今更なんだろうと思いますでしょうか… 私はどうればよいでしょうか。 今からでもお線香あげに行っても良いものでしょうか。それとも秋の彼岸のような節目に行くべきですか? 調べれば調べるほどマナーや〇〇するべきのような情報が出てきて、混乱してわけ分からなくなっています。 彼女とは交際期間は3ヶ月と短かったため、私の家にはあまり彼女の物もなく、家にたまたま忘れて行ったタオルに向かって毎日拝む日々です。 お線香はあげていませんが、彼女のことを失ってとても辛いですし、供養したいという気持ちはあります。 しかし月命日ごとにお邪魔したり、やたらとお伺いするのは逆にご家族に迷惑になるような気がしています。ご家族からは葬儀後、今回のことを引きずらずに自分の人生を歩んでいってくださいと連絡いただきました。 文がまとまっていなくて申し訳ありません。 あくまで一般論として、 恋人と死別した場合、葬儀後の弔問の頻度はどの程度が良いか?をお聞きしたいです。ちなみにお墓に納骨はしておらず、ご実家の仏壇への訪問となります。 また、故人に対してちゃんとお線香をあげたりしなければ、故人へ私の供養の気持ちは届かないでしょうか。決してしたくない訳ではないのですが、どうも頻度と想いが比例するとは思えないのです…やはり私は薄情な人間なのでしょうか。

有り難し有り難し 8
回答数回答 2

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