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過去との向き合い方

回答数回答 1
有り難し有り難し 12

私は昨年、自分でも思ってもいなかった過ちをしてしまいました。
なぜあの時あんな事をしてしまったのかと後悔し、自分はなんて最低な人間なんだと気付かされました。
これから先、二度と同じ過ちはしないと誓い猛省しております。

ただ、どうしても過去の自分を許す事が出来ません。
この過去の出来事は私の人生において必要な事だったのでしょうか?

また、過去の自分を受け入れ、過去に囚われず今をこれからを大事にし、前に進んでいける方法はありますか?

随分と勝手な質問をしているのは重々承知ですがどうかお答え頂けたらと思います。
よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その気持ちを、形に

こんばんは。私は、儀式って、「やり場のない気持ち」に場を与えるものだと思っています。嬉しさも、悲しさも。節分だって、子供の頃言われたでしょう?「怒りん坊鬼を追い出そう」「嘘つき鬼を追い出そう」って。
そうして儀式化することで、自らを見直し、「心を入れ替えよう」としてきたのです。
私たち浄土宗の「朝のお勤め」…朝に限らず全てなのですが、必ず「懺悔」が構成されています。中学校とかでは、「念仏を唱えれば死後は極楽へ往生する、と説いた」程度の説明しかないかも知れませんが、それだけだと「簡単すぎて有り難みがない」と感じるほどです。でも、その念仏の前に、「自分の身の程を思い出せ。自らの煩悩で悪業を作ってきてしまったことを思い出せ。懺悔せよ」というパートがあるのです。それ無くして「称えるだけで〜」はない。自らの情けなさ、ダメさを謙虚に受け止めてこそ、の教えなのです。
それは「懺悔偈」と言いますが、続いて「懺悔の十念」をお唱えします。自分の悪業は大きすぎ、自分で拭えるものではない。だから仏様に懺悔する。
どうですか?あなたの「犯した罪」、あなた自身で償えないでしょう。だからもう、仏様にお預けしては。
お預けすることで、貴方は自身のすべき事に向かえるのではないでしょうか?「同じ過ちをしない」ではなく、「その状態(縁)が巡ってきたら、こうする」を決めておく。「しない」事を決めるより、「する」ことを決める方が我々、やりやすいのです。
南無阿弥陀仏でなぜ我々は救ってもらえるのか。それは「仏様がそう言ったから、そう誓ったから」というのが根拠です。
坊さんも毎朝、お勤めをします。自分のダメさを思い、できることをしようと考えます。内容は人それぞれとしても、あなたなりの「お勤め=誓い」を作文しても良いかも知れませんよ。繰り返し言葉に出し、それを日々達成することで、「言ったこと」にあなた自身が近づきます。それが一致した時、「信じられる人」になるのです。人偏と言がくっついたのが、信という字ですからね。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

質問者からのお礼

光圓寺さま
お返事ありがとうございます。
確かに私は自分のした事を自分で償える自信がありません。
なのでしっかりと懺悔し、仏様にお預けしようと思います。
そして、自分のダメだった所もしっかりと受け止め、これからは自分に出来る事をしっかりとしていきたいと思います。
本当にありがとうございました。

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