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優しくされるとすぐ惚れてしまう。

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有り難し有り難し 52

恋愛の相談なのですが、男性に優しくされるとすぐ惚れてしまいます。
愛情に飢えているというか、構ってもらえるのが嬉しくてもっともっと!ってなってしまいます。

相手から話しかけてくれて会話が盛り上がったり、私の話を熱心に聞いてくれたり、それだけですぐ相手に対して恋心を持ってしまいます。

相手からしたら、人と話す時の最低限のマナーを守ってるだけなのかもしれません。
でも、私の話を聞いてくれる、私の存在を認めてくれてるって思って嬉しくなっちゃうんです。

家庭環境が悪い訳では無く、むしろ両親と姉にたくさんの愛情をもらって育ってきました。
なのに、どうして優しくされただけで惚れてしまうのでしょうか。
このままの恋愛の仕方で正しいのか、ご教授頂きたく存じます。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

優しくされたがっている自分を知っているならばこそ

自分がやさしさに弱いという事を知っておられる。それは良いこと。
ですが、それが男性や世の人を見極める目を曇らせていることも真実でしょう。
あの人優しいくしてくれたから高額商品をつかまされました、じゃ話になりまへん。
笑顔よりもやさしさよりも、もっと確かなことで相手を見極めましょう。
厳しく叱りつける人だって、愛情です。
優しくウソッパチで本当のことを教えないやさしさにホレますか?
優しい響きであなたを奈落の底に落とし入れんが為についたウソのやさしさにホレますか?
真実は表向きのやさしさではない。
仏と悪魔はいつも同じ格好でやってくる。
だからおそろしいのである。
やさしさにホイホイついていくような、甘ったれた生き方をするな!!
ホレられないように厳しく言っておきます。(。-`ω-)

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

嬉しい・惚れた・恋心

おはようございます。幸せのタネがたくさんあって、いいですね。
ただ失礼ながら、まだまだ何かと初心者の方、とお見受けします。ある特定の方にトキメクのでしょうか?それとも、複数の方に同時並行で?
特定の方であれば、暖かく見守りたいという事ですが、ここに問いをおこされたという事は、何かしら違和感を感じているのでしょうね。
いろんな方に対して恋心(っぽい)ものを感じるのであれば、それって「恋に恋して」というやつかも知れません。男性と違い、女性は自分のDNAを「ばらまく」事ができないので、お相手選びは当然厳しいものになります。選択権は女性にあるのです。そして、それは全く不公平ではない。
なので、「自分のDNAを残そうとする」という目的にかなう事を恋愛と呼ぶなら、それは「特定の方」でなければ危険なのです。まぁ手練の生き物は、うまく複数のオスを活用するらしいですが。
なので、嬉しい結構。惚れたも結構。でも恋と呼ぶなら相手は1人。そう言われたからって、「私のは恋じゃないのね、がっかり」に行く必要はありません。身体は一つしかないので、いずれ選べるようになりますよ。ただ、よく問答にありますが、複数同時並行は全くお勧めしません。

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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

案外優しくない人の方が少ない

多くの人は優しいですよ。初対面であれば特に。慣れてきてからが相手の本性がわかります。優しいだけではなく、出会いの経験を重ねるたびに、本当に信じられる人がわかるようになると思います。
冷静に相手のことを見るようにしてください。
恋に溺れないよう、要注意です。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

恋愛のおもしろさ

惚れさせた方が勝ち。
でも惚れた方が強い。

求める方が苦しい。
求められる方が幸せ。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ