進学先について
進路で悩んでいます。進学することに決めたのですが、東洋大学と京都精華大学(人文学部付き芸大)のどちらにするか迷っています。
東洋大学の方が知名度や環境が整っています。しかし、京都精華大学には心の底から「この先生の下で学びたい」と思える方が教鞭を執っています。
就職や学歴で考えると東洋大学ですが「学びたいことが学べない」と後悔しそうです。京都精華大学も、学びたいことが学べても、後々響くのではないかと不安です。
本来は、お坊さまに相談する話ではないでしょうけれど、学びたい内容が東洋思想の、仏教と社会がどのように関わってきたかについてなので、質問させていただきます。
進学先について
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
楽しそうな方へ
イヤ決して「楽な方へ」ではないのです。知的興奮とかワクワクが得られると感じる方へ。
就職については、正直言って「どちらがどれだけ優位なの?」っていう感じです。某大学、うちの近くなので、来てくれたら面白いけれど。
でも畢竟、「大学時代で何をしてきましたか」と問われたとして、サークルでもない、ボランティアでもない、ましてバイトでもなく、「ぜひ、と思った先生の元で勉強しました」は、会社へのアピールになるような気がしますよ。忠誠心とか、見たいでしょうから。
私は採用「された」のはバイト関係しかありませんが、採用「する」側の立場としてみれば、「好き嫌いしない」とか「これを一生懸命やってきた」とか、それこそコミュニケーション(という名の聞く耳を持てるかどうか)とか、を重視します。その一次ラインの次に成績です。
なので、その先生が4年間いらっしゃるのが確定であるなら、ぜひ京の都に一票。
あなた自身が学ぶ意欲があるのなら
あなた自身の学ぶ意欲が何より大切です。もし迷った時に導いてくれる方がいればそれは良いことだと思います。
道元禅師は、正師を求めて中国にまで行きました。何年もかけて、正師に出会いやっとの思いで、自分の求める仏道を極めることができたのです。
あなたが、求める道に師が必要なのであればそのようにすればいいと思います。
しかし、あなた次第で、学べるのであれば、それはどちらでもいいのではないですか。
しかしながら、大学の名前が知られているからという理由で行くのであれば、あまり意味はないかもしれません。その大学で何をするのかを明確にした方がいいと思います。
そこで何を学ぶか
人間学ぶことは人間のことが一番です。
自分を知る事。
仏教は自分を知る教えです。
自分を知るには自分から学ぶのが一番。
そして自分を知った人から学ぶのが一番です。
何処に所属しても学びでないものはありません。
これを忘れなければどこであっても学びになります。
学べたかな?
ぶっちゃけ学びでない時なんてありませんしねぇ。
仏道をならうというは自己をならふなり。
自分意識、自己意識を持ち込まなければ、すべてが学びになるのです。
反対にどんな素晴らしい老師の下でも自分がありすぎる人は事前設定が強すぎて何も学びにならない。インテリさんほど学びが下手な人が多いというのはこの為です。
質問者からのお礼
皆様助言ありがとうございます。