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私のことを本当に尊重してくれているなら、こうしてくれるはず

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 「本当に私のことを思ってくれているのなら、○○してくれるはず」
という思い(以下、「相手への期待」と呼びます)が消えません。そう思ったら最後、「○○してくれないということは、私のことを嫌っているんだ、なんとも思ってないんだ」という思い(以下、「思い込み」と呼びます)が生じ、相手へ疑いの目や憎しみを向けてしまいます。
 こうした「相手への期待」や「思い込み」が無くならない限り、人に疑いや憎悪をむけ続けることになると思います。親切心で接してくれた人に、悪意を向けることをやめたいです。
「思い込み」をなくすために、「思い込み」の発端となる「相手への期待」をやめるべく、以下のような努力をしています。

 まず、相手へ期待することをやめるために、多くの人と関わり、色んな人の考え方を聞き、十人十色の価値観を受け入れようとしています。その結果、私と全く違う考え方や価値観をもっている人がたくさんいる、だから、相手が自分の思い通りになることはめったにない、ということは分かりました。しかし、それでも、人と会話をしているときに、「私のことを配慮していたら、そんなことはふつう言わないよな。」といったような気持ちが生まれ、最悪、相手と会うのをやめたくなる時があります。 

 また、相手へ期待することをやめるために、自分磨きも注力しています。自分に自信がつけば、自分に期待して、相手へ期待しなくなるだろうと考えたからです。そこで、内面磨き(勉強、趣味、家事等を頑張る)から、容姿の外見磨きまで、出来る限りやっているつもりです。そのかいあって、以前よりもできることが多くなって、自分は少し頼もしくなったかなと思えてきました。それでも、相手への期待をやめることができません。

長くなりましたが、お尋ねしたいことは以下の点です。

 「私のことを大切に思ってくれるのならば、○○するはず」と相手へ期待しなくなるためには、上述のような努力は無駄なのでしょうか。もし無駄であるならば、何を行うべきなのでしょうか?

相手へ期待することは無駄なことだと、どうすれば心から納得できますでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

『同事(どうじ)』

ゆゆさんのその、相手へ期待することは無駄ではないと私は信じています。

ただしそれは、相手の期待に応えようとする人間にこそ
与えられた特権だと思います。

相手に期待し、だからこそ相手の期待に応えようとする。

私が好きでよく法事で読んでいるお経にはそのことが書かれています。
『同事』といいます。

しかしながら。
期待に応えることがいかに難しいか
ゆゆさんもきっとおわかりでしょう?

ということはやっぱり、お互い難しいことに挑んでいるのです。
そうして平等に思えたとき、人に対する疑いも憎悪も
少しずつ和らいでいくのではないでしょうか。

どうか、平等に思える方々との出会いを大切になさってください。
中にはひどい人もいるのでしょう。
自分にとってどうにもならない相手との期待の応酬は疲れるものです。
ゆゆさんにも相手にとってもお互いにほどほどに期待しあえる。
そんな出会いに挑んでください。

ゆゆさんを、大切に思う方がきっと会いに来てくださるように
お祈りしております。

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おきもち

吉井浩文
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構えと、行動

こんにちは。「人に、思い通りになる事はあんまりない」というのは、仏教の基本的認識です。それは「苦諦」と言います。
それをわきまえるのが幸せへの第一歩だ、という訳なんですが、あなたの言う「私のことが大切ならば云々」という気持ちが自然に湧き上がって来てしまうことは、あります。つまり、何がしか他人の行為によって貴女が傷ついたり落胆した時ですね。
究極的には「他人は自分にはかえられない」、それは正しいのですが、行動の工夫によって、それを少なくしていくことはできると思いますよ。(撲滅はできないと思います)
まずは、あなたが傷ついたとき、それが相手の狙いであったか確かめる事です。「それ、私は結構傷つくんだけど」ということを、相手に伝える。地雷を踏むという言葉がありますが、「ここに地雷がある」ことを知らないから踏んでしまっている、というケースは多いと思いますね。
もちろん、その瞬間は「ちゅどーん」ですから、後から落ち着いてお伝え。「なぜそれが、私にとって地雷になったのか」という過去の経験も話すと、分かってもらえる可能性は上がります。
あとはね、大概の人は「自分が一番大切。自分が一番かわいい」のです。これは、淋しく聞こえるかも知れないけれど、確かな出発点です。
お互い、「まずは自分にいいように」動く。お互い対等な人間同士だからこそ、それは成り立ちます。
だから、誰かが他人に何かをする、というのは「余力」ですよ。親子間であればともかく、「自分の命がけで」他者に何かをするということは、まず超レアな話だと思いますね。小説レベル。
なので、「自分のことはちょっと抑えて」相手の望む何かをしている、というのが精々でしょう。自分に余裕がなければ、「ちょっと抑えて」はできません。
ここから言えるのは、「他人に何かしてもらうのは、よっぽど有り難いこと…レアなことだ」と知っておくことです。そして、「小さなありがとう」を沢山返しておくことです。
やってますか?こちらの方は、ハードル低くできるんじゃないでしょうか。普段から、「何かしてあげる甲斐のある相手である」と見てもらえた方が、貴女の幸せに繋がりそうですよね。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

吉井浩文 様

 仰せの通り、私も、相手の期待にこたえたくても、こたえられないことも多いと思います。やはり、人間関係は難しいですね。ほどほどに期待しあえる・・・どういう状態のとき、私と相手が「ほどほどに期待しあえる関係」と言うことができるのか・・・私は未だ経験したことがないように思います。しかし、とてもよいお言葉だと思いました。まずは、私もほどほどに期待してもらえる人になりたいです。ご回答をありがとうございました。

佐藤良文 様

 そうですね、相手が私のためにしてくれるのは「余力があったから」ですね。
このことを失念していたと思います。相手が冷たいのではなく、もともと自分が一番大切と思っているのが人間ですよね。だからこそ、私の地雷を話しても、相手は受け入れてはくれないのですね。そう考えると、無理もないことかな、と思いました。人間はそういうものだと思ったら、少し楽になってきた気がします。
ご回答をありがとうございました。

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