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家族が新興宗教にはまりつつあります

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初めての質問失礼します。
弟がほぼ寝たきりの病気で、それを治そうと弟嫁がカルト系新興宗教の友人と深く付き合い、家に連れてくるようになりました。
話を聞くと、弟の病気は家に悪いものがあるからであって、お清めによって幸せになってほしい、などと強く誘われているようです。
嫁は自称霊能力者にもこの友人の紹介で会い、背後霊の意思を体験したとかで信じ込んでいるようです…。
私自身は元々新興宗教に抵抗があるため、弱みに付け込んで勧誘されているとしか思えず、その友人に対し強い怒りが湧いています。

弟は病気以来大声を出して物を壊したり、暴れたり、家族を威圧したり、夜中に行方不明になったりと、本人も家族も散々苦労や辛い思いをしてきました。これで良くなるのであればと諦める気持ちもありますが、正直お嫁さんに侮蔑の気持ちが芽生え、嫌いにさえなりつつあります。さらに嫌なのが、幼い甥がこの宗教の集会に連れ出され、特徴的な行為の真似をしていることなのです。

私は今鬱病で自宅療養をしていますが、この現状が受け止められないのは自分の心が狭く醜いからだと自分を責め、滅入っております。これらのことをどう受け止め、どうお嫁さんに接すればいいのでしょうか。
父と母も新興宗教が嫌いで、これ以上心労をかけたくないので、この話はしていません。おそらく話すと怒り狂うか悲しむと思います。
未熟で情けない話ですが、何かアドバイスを頂ければと存じます。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

姉としてできることをできる限り

いい新興宗教もあると思います。(聞いたこと無いけど)
お金のかからない新興宗教を探しましょう(聞いたこと無いけど)。
まぁ、適当な理由つけて入り込んできて、加入され集会にいって名前と連絡さきを書かされて、しょっちゅう家に来て、しつこく勧誘されて、いつのまにか信者扱いで、毎月献金。およそ利益狙いでしょう。
家族が違う価値観の人に洗脳されて行ってしまうというものは悲しいものですねぇ。
ですが、それに染まってしまう人ならば、それもそこまで。
あなたのできることは、限られていると思います。
それが受け入れられなくても、出来る限りのことを働きかけてください。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

怒りは悩み苦しみの原因

藁にもすがりたいような人々を集めている新興宗教は多いですよね。
しかし、あなた自身の心の平安のためには、怒らないようにした方がよいでしょうね。
怒りのストレスで苦しむのはあなた自身だから。
弟のお嫁さんに助言等をなさるときも、怒りながらケンカごしではなく、にこやかに余裕をもってご意見すればよいでしょう。
ところで、人間は誰でも、目の前の苦しみから逃れようとジタバタするものではないでしょうか。
お嫁さんの苦しみは他人には計り知れないものがあるかもしれません。
私は、よく離婚しないで辛抱してくれてるなと、感心してしまいます。
お嫁さんが弟さんのために苦しんでいるのだとしたら、お嫁さんを弟さんから解放してあげる方法はないでしょうか?
お嫁さんは、宗教を介在することでしか夫婦生活を継続できないところまで追い詰められているのかも。
お嫁さんの苦労を労ってくれる存在が身内にいないから、宗教に走ってしまったのかもしれませんね。
あなた方ご家族全体の問題として、他人の娘である嫁を家に迎えたのだから、気遣ってあげて欲しいです。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

急ぎ悪因縁を断ち切る

ご家族みな悩ましい事になってますね。
しっかりと因縁を探り切っていく必要があります。
現状を受け止めるより変えていくことが急務かと。しっかりと因縁を探ってもらえるお寺さんに救いを求めることです。ここではこれ以上の発言ができませんので申し訳なく。
勧誘数により霊能者の地位を得る新興宗教もあり、霊能者マニュアルに基づいてあれこれ言うようですから全く信用できません。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

ご回答頂きありがとうございます。
お嫁さんはこんな状況で本当に良く頑張ってくれていると思います。家族で気遣い大事にしているつもりでしたが、いつの間にか感謝が薄れ当たり前になってしまったのかも知れません。
これからはもっと深い愛情で接するよう心がけたいと思います。
悪因縁はやはりあるのでしょうか。何軒かの神社お寺に、家の場所が悪いと言われお祓いもしたことがありますが変わりません。あまり真に受けていませんでしたが、少し気持ちを改めて探ってみたいと思います。
本当にありがとうございました。

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