望まれてなかった私の出生
小学生の時、「私が生まれた時嬉しかった?」と母に聞いた時「お姉ちゃんは5年間もひとりっ子だったのに、妹ができて可哀想だった」と言われて、望まれて生まれてこなかったのだと分かりました。
確かにその頃の我が家は貧困で私の子供の頃の記憶の母の姿は背中を向け内職のミシンをしている姿です。
母は私と姉を同じに育てだがりました。
習い事、部活、学校、すべて姉と同じ事をしました。
姉の方が出来が良かったので、母は満足そうでした。
私がたまに結果を出すと「お姉ちゃんも頑張ってるのよ」と褒められ?ました。
いつも、忙しかった母に何か教えてもらった記憶はなく、知らないでやるので失敗する、そうすると怒られるという教育でした。
姉は子供の時に歯列矯正をしましたが、私は味噌っ歯で友達にからかわれていました。
母が1才にもならない私を姉と姉の友達に子守をさせ買い物に出た時、泣き出した私を見て姉が母を呼びに行っている間に、姉の友達が私を落としたらしく、母と姉が家に戻ると友達はいなく、顔面蒼白で傷だらけの私が押入れの上段で泣いていたという話を笑って聞かされました。(病院に行かなかったそうです)その後私は引きつけを起こすようになり、検査を受けたそうで(結果は知りません)私が成人になるまで、そのお医者さんから「お元気でしょうか」とお手紙が来ていました。
そして、母は機嫌がいいと「姉と私は同じようにかわいい」と言いましたが、大人になるにつれその言葉は恐怖でしかありませんでした。
叩かれる、罵られるという事がなかったので、怒られた時に私が悪いと思っていましたが、今思うと育児放棄に近かったと思います。
母も大変な環境で子育てをして、余裕がなかったのではと思うようにしてきました。
今、結婚して子供もいて、子供には私がこう育てて欲しかった、声をかけてほしかった事もやるようにし、周りの方々の支えにも恵まれ、子供たちはとても元気な優しい子に育ちました。
でも、私は未だに自己肯定ができません。
過去を振り返っても自分が頑張った事は思い出せません。
大人なので今さらどう育てられたかではなく、自分で道を切り開こうと努力しましたが、なぜ生まれてきてしまったのかという気持ちが常に根底にあります。この気持ちを跳ね除けるにはどうしたら良いでしょうか。まだ、努力が足りず弱い人間なのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
問題はシンプル。「親が子育てに慣れた」からです。
私も、姉と二人兄弟なので、コンプレックスがありました。
姉はバレエにピアノ、英会話など様々な習いごとをしていたのに僕はなにもさせてもらえず、姉は中学校から私立の進学校に行きましたが僕は地元の公立。いつも家庭の中心は姉で、僕は脇役のような立場だと感じていました。両親も姉のことは気にかけていましたが、僕には「お前は勝手にしろ、好きなことをしろ」と言われて育ちました。今でも実家に飾ってある写真は姉のものばかり、アルバムも姉のものしかありません。女と男での差はあれど、あまりにも扱いが違うなあと小さい頃から思っていました。それこそ「僕なんていらないのかなぁ」と。
けれど、違うんですよね。問題はシンプルです。
親が子育てに慣れたんです。
実は、あなたとほとんど同じ悩みを母に打ち明けたことがあります。
すると、母は泣きながら「ごめんね、そんなつもりはなかったんだけど、私も仕事を始めたし、お姉ちゃんがあなたをみてくれるから、ついほったらかしにしちゃったの。
お姉ちゃんは、はじめての子供だからすべて初体験で一生懸命だったけど、あなたは二番目の子だから、ある程度子育ての仕方もわかってて、抜くところは抜いちゃってた」と・・・
とんでもなくないですか!?はっきりと「手を抜けるところは抜いていた」と子供にいうんですよ!
とんでもないなあと思って当時はすごく怒ってしまいましたが、今思えば「そりゃそうだ、一人育てるのと二人同時に育てるのじゃ労力が違う」と納得してしまうんですね。
いまでもあなたは、悩むほどにお母さんを愛していて、お姉さんにヤキモチをやいているんです。
望まれていなかった?そんなはずありません。それほどお母さんを愛しているあなたが、お母さんに愛されなかったわけありませんから。
「おねえちゃんは一人っ子だったのに、あなたが生まれてかわいそう」
そりゃそうです。おねえさんにとっちゃ、独り占めしてたお母さんをあなたに奪われる大ピンチです。
僕も姉に言われました。「あんたが生まれたときはみんなあんたをかまうから気にくわなかった」と。笑
みんな、それぞれ愛し方が違います。でも恥ずかしいから愛してるなんて言えない。
でも、お子さんがいるならわかるはず。
言葉にしなくても、ほったらかしにみえても、みんな互いに愛し合っているんですよ。
それは当然か?
”今、結婚して子供もいて、子供には私がこう育てて欲しかった、声をかけてほしかった事もやるようにし、周りの方々の支えにも恵まれ、子供たちはとても元気な優しい子に育ちました”
それはそれは。
よかったですね、あなたは思う存分に子育てができたわけだ?
思う存分に愛情を注ぎ、時間とお金を割くことができる環境があったわけだ。支援をしてくれる人や行政サービスにも恵まれたわけだ。
それが当たり前ではなかった時代に懸命に子育てをしてきたあなたのお母さんの時代も、あなたと同じような環境が整っていればよかったのにね。
学費や医療費の免除もなく、子ども手当てもなく、社会へ出て働くにもまだまだ女性の地位が低かったあの時代に、必死に食わせてきた我が子に”育児放棄に近かった”とまで言われてしまっては、あまりにも…。
そうですか、自己肯定できませんか。残念です。
南無阿弥陀仏 拝
<追記>
あなたがどんなに卑屈になろうとも、どんなに自分にツバを吐きかけようとも、そして母親の事をどんなに恨んでも憎んでも、あなたの存在の大前提には母親の愛が脈々と流れています。願わくば、いつかその事実に目を向けていただきたいものです。
それから、私はあなたの質問を見て嫌な気持ちになったのではなく、放ってはおけないと思ったので回答させていただきました。拝
どうぞ自信を持って
拝読させて頂きました。そしてお二人のお坊様からの回答、そしてあなたのお返事も読ませて頂きました。
そのようなあなただからこそお子様のお気持ちも理解してあげられることができるのではないでしょうか?
お子様の成長に合わせて合間合間にお子様への愛情の注ぎ方や言い方も含めて共に育むことができるように感じますね。
お子様がいらっしゃる自体であなたは望まれてご縁に恵まれてこの世に生命を受けたのですからね。でなければお子様になんとお伝えなさるでしょうか?
お子様にとってはあなたがご縁に恵まれて生まれ成長なさり、大切な方とのご縁があり、生まれるご縁を頂いたからこそ自分自身が存在できるのですからね。つまりはあなたはお子様にとって誰がなんといおと絶対に欠くべからざる存在ですからね。
あなたがこれからもお子様をお健やかに育みながらご家族皆さんと共にお互いを尊重しあい共に仲良く幸せに生きていかれますよう心よりあなたのご先祖様にお祈りさせて頂きます。
ご先祖様はあなたがお生まれなさって成長なさっていかれたこと、そしてお子様がお生まれなさったことを心からお喜びなさっていらっしゃるでしょう。そしてこれからもあなたやお子様や皆さんをいつ如何なる時でも優しくお見守りなさっていらっしゃいますからね。
どうぞ自信を持って生きていかれて下さいね。
質問者からのお礼
甘い自分が質問してしまい、申し訳ございませんでした。このような自分だと律して生きていきます。
私も立派な子育てに順風満帆で来たわけではありません。
金銭的にも余裕はありませんでした。
自分ができる限りの愛情を注ごうと思っただけで、完璧ではなかったと思います。
ただ、自分の環境のせいにせず、助け頂いた方の気持ちをきちんと気付こうと言い訳せずに育ててきたつもりなので、母の気持ちを全否定する訳でありませんが、心に寂しさがあるのは確かなので質問させて頂きました。
子供が元気に育ったのも私のおかげではなく、周りの皆さんの支えがなければそうならなかったという気持ちで楽な育児をしたぜ!という主張ではありません。
でも、そうですね。感謝の心が足りなかったのだと思います。不条理は私が生まれた事、それを懺悔しそれでも産み生かしてくれていたとこに感謝していきていきます。
嫌な気持ちにさせるような質問した重ねてお詫び申しあげます。
不悪口院 恵成様
このような私にの回答ありがとうございます。
そうですね。
母の愛が足りなかったというより、
姉と自分を比べ、母の愛に届いてないと感じていてのかもしれません。
母には懸命に育ててくれた事もあり、もう70代です。これまで、懸命に生きてきた母に責めるつもりはありません。むしろ肯定して晩年をこれで良かったと思ってほしいと思っています。
これは私の心の問題です。
自己肯定できれば、母にも優しく心から感謝できる。
ただ、大人になってもやはり、母の娘…。
もう少し向き合ってほしかったと
何かできなかった時、否定するだけでなく、一緒に解決策を考えてほしかった。
私の子供心のわがままですが。
しかし、こんな心を持つ自体、私は無慈悲な非常な人間なんだと改めて思いました。
今の現状を感謝できるよう、もっと日常の小さな事に目を向けたいと思います。
有難いお言葉、ありがとうございました。
Kousyo Kuuyo Azuma様
丁寧な心癒すご回答ありがとうございます。
命の紡があるからこそ、母が私の命を繋いでくれたからこそ、子供たちに出会えたと思えば、有難い命だと思います。
母を責めようとか、思いを言ってやろうと思わないひとつに、私の子供たちは可愛がってくれるという事もあります。
自分が生まれた事で母は苦労し、姉はさみしい思いをした。何か役に立ちたくても不器用な私は母をイラつかせるだけだった。
犬を飼っていましたが、犬から見ると、姉と父と母は飼い主で、私はきっと一緒に飼われてる犬と思ってるだろうと言われていました。
生まれた時から役に立たない。
生に感謝と言っても、それすらおこがましいのではと思ってしまっていました。
でも、今、その役に立たないと思っていた命でも、それが繋がり、子供たちは私に寄り添って笑ってくれています。
お誕生日には必ずカードを書いてくれます。
いつか、もう少し自分の生を見つめ直し、子供たちが私にしてくれて嬉しかった事を母にできたらと思いました。
有難いお言葉ありがとうございました。