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生きる意味はなんですか?

回答数回答 3
有り難し有り難し 21

はじめまして!
質問させてください
私は今うつ病を患っていて
心療内科に通っています
自殺しようと薬を大量服薬したものの
死にきれず今日までなんとなく生きてきました
最近になって夜が眠れず
不安と寂しさ将来への不安で
毎日泣いています
そしてまた死にたいと思うようになりました
こんなに辛いのに生かされてるのは
なぜなんでしょうか
何かの罰をうけているんでしょうか?
こんなに辛い人生なのに
終わりが来ないのはなぜなんでしょうか
乱文失礼しました
誰かに聞いてもらいたくて


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

出会い と ご縁

りんごさん
不安・寂しさ・辛さ、人生の苦は大なり小なり皆抱えています。
自死(自殺)しても、その苦は残された有縁の者に引き継がれてしまいます。
でも、りんごさんは、ご縁あればこそ、心療内科に通ったり、hasunohaに相談したり、ちゃんと生きる道を模索しています。不安を捨て切れないのも現状では仕方ないですが、おぼろげながらも、ちゃんと前を向いて歩んでますよ!
りんごさんの近くにhasunohaメンバーのお寺があれば、是非訪ねて色々相談してみましょう。
更に一歩、歩み出すキッカケ・アドバイスが得られるはずですヨ!
日々の出会いも、大切にしてくださいネ!生きるヒントが、思わぬ形で見つかるかもしれませんヨ!

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有り難し
おきもち

石川県金沢市内の城北地区鳴和町で浄土真宗本願寺派のお寺をお預かりしております。 過去の経験から、僧侶が聴聞の方々に一方的に話すだけの法話スタイルに疑問を感じ、悩んでる人・苦しんでいる人・勿論そうではないチョット仏教に興味がある人のお話しを聞き、対話する中でより良い方向を一緒に探す事を重要視しています。 お気軽にご相談下さい。

生きたいから生まれた

あなた自身が前世で「もっと生きたい」と欲して死んだから、生まれてきたのではないかと思います。
しかし、生きることは苦しみの連続です。
息を吸ったら吐きたくなって苦しい、息を吐いたら吸いたくなって苦しい。
じっとしていれば動きたくなって苦しい、動いていれば疲れて止まりたくなって苦しいのです。
あなたが前世で死んだときは、「もっと生きていたい!」という苦しみがあって、再びこの世に生を受けたのでしょう。
しかし、生きていると、「やっぱり生きるのは苦しい」となる。
先に述べた呼吸の苦しみと似ています。生きてれば死にたい、死ぬときは生きたいわけですね。

仏教は自分と他人の悩み苦しみをなくすための教えなので、生きる意味を見いだすとしたら、自分と他人の悩み苦しみを解決するための修行、あるいは解決方法探しの旅、かもしれませんね。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

過去世からの罪の償いをするために生まれた

最近一部の良心的な医師が「病院の薬は飲むな」と声をあげています。
医師は自身が癌になっても抗癌剤はしません。「あんな体に悪いものは絶対にせん!」と言っていることは医療現場で働く者ならよく知っている事実。
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生かさず殺さずして診療報酬目当てで医師は患者に薬を出していると、医師自らが告白しています。
まずは、心療内科の薬は止めるのも手です。
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私の妻もある病気の症状を抑えるため服用していましたが止め、かわりに南無妙法蓮華経のお題目を唱えたところ症状がでなくなりました。
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文字制限があるので結論を申し上げます。
法華経の教え「護瑕疵(ごかし)」。
人は原因を取り除くときの苦しみを嫌うという教え。今この症状さえ抑えられたらよい、気が楽になる話が聞けたらそれでよいというのは「畜生道」に堕ちています。それでは犬猫、ナメクジ、魚貝類です。あなたは人間として教えに従い、「護瑕疵」の考えをただちに正すことが必要です。
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毒気深入した者には医薬ではなく妙薬たる南無妙法蓮華経を服薬することが肝要。
声も惜しまずお題目を唱え、体内に妙薬を入れたならば、ただちに症状があらわれ苦しみはじめます。「護瑕疵」の過ちをただし堪え忍びお題目を唱えていけばやがて症状は消えていきます。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

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