心
心を無くして生きたいです。どうしたらいいでしょう?
笑うことも、怒ることも、悲しむことも、何も感情を無くしたい時どうしたらいいのでしょうか?
仕事以外、全て決められて生きなきゃいけない…
干渉?監視?
もっと命を大切にする人に私の命でよければ差し上げたいです。
体だけは丈夫なので。
お叱りはいりません。もう十分なので。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
この瞬間に心を注ぐ。
心を無くして生きたいほど、
今自由を失われていらっしゃるのでしたら
諦めてほしくはありません。体が丈夫であってもなくても
にゃにゃんさんがご自分で決められることが、ここでだったら決め続けられることがまだありませんか?
どんなちっぽけな決め事でも構いません。
間違いなくあなた自らが決めたことだって胸を張っていいんです。
明日朝起きたら顔を洗うとか
朝玄関から出るときは右足から出ようとか。
どんなに瞬く間であっても、どんなに小さなことでも
そんなささやかな日常にこそ
あなたの心や思いが決めたことをたいせつにできる自由がまだあるんだと信じています。
たとえ「心」がか細くて見えなくても「心遣い」は見えるように。
「思い」は見えなくても「思いやり」は見えるように。
「心遣い」や「思いやり」って、大げさなものより、ささやかなものに宿るでしょう?
そんなふうに、ささやかな日常のなかにある何物にも縛られない自由な瞬間に
あなたの心を注いでいただきたいのです。
「決められること」からも「決めること」からも自由になれるのが、そんなささやかな日常の「すばらしい」ところだと私は思います。
私の好きなお経に
『この行持あらん身心自らも愛すべし。自らも敬うべし。』
とあるのはこのことだと解釈しているのです。
しかしそれでもなお
その気になれば
心も無くせるし思いも無くせるのでしょう。
無くしたいと思う気持ちを止める言葉が見つかりませんが
出来ることなら
「どうして」心を無くしたいと思うのか
お聞かせください。
口で「あいうえお」と言いながら同時に
心で「一二三四五」と念じてみましょう。
「あ」のとき「一」を、「い」のとき「二」をぴったり合わせるように。
また、「あ」のときは、頭の中の声はできるだけ「一」以外が混じらないように、「いうえお」それぞれに「二三四五」を、雑念が混じらないように。
そうすると、心は「あいうえお」と「一二三四五」をちゃんとやることで忙しくて、余計な感情を起こすひまがないくらいになります。
さらに「あーいーうーえーおー」とゆっくりめに挑戦してみてください。
これだけでも、あなたは、心をコントロールできる技を身につけられるかもしれません。
別バージョンも紹介します。
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と口で唱えながら、心で
「帰命無量寿仏(きみょうむりょうじゅぶつ)」と念じてみてください。
阿弥陀仏(別名無量寿仏)は、善人でも悪人でも皆をもれなく救う仏様です。
南無(帰命)とは、尊敬します、私をお任せします、すべてを委ねます、という意味です。
感情を静める、心を鎮める効果があると思います。
質問者からのお礼
お言葉ありがとうございます。私には勿体ないです。私はこの歳まで必要とされた事がありません。利用される事は多々あります…
仕事では、必要とされたいと言うか、役に立ちたいと思いやって来ましたが、その気持ちを利用されていた事に気付きました。長年、仲良くしていた親友も結局私を利用していました。きっと本人達は気づいていないでしょう…私は、周りの人をワガママにしてしまうようです。
とにかく、人生、何も考えたくなくなってしまいました。毎日職場で嘘笑顔をしている自分も大っ嫌いです。人間、言葉ではどうとも言えます。例えば力を抜いてやればいい、機嫌取りなんてしなければいい…現実問題無理です。出来たとしても、心と体が拒否反応を起こします。