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友人に違和感を感じた時の揉めない離れ方

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わたしには今年で出会って6年になる友人がいます。(仮にAとします)

普段はAも含めて女5人でよく一緒にいるのですが、特にAとは仲がよく、二人で旅行に行くこともありました。

しかし、二年前ほど前に実はAは自分に都合の良い事しか話さず、人を思いやる行動というのが出来ないのでは?と思うようになりました。

しかし、そんなAのことは普段一緒にいるわたしたち4人しか知らず、他の人からは「Aってほんとにいい子だよね」と言われます。
その度に、もやもやしている自分がいましたが、これは価値観の問題だから私がAに諭したりするのはおかしいし、周りにAってこんな人なんだよ!とわざわざいうことではないのだと自分を抑えていました。

それ以外でも友人というより、便利に都合よく使われていると感じたことが多々あり、他の3人もAに対して同じような理由で友人として付き合っていく上で限界がきていたので、一緒にいても愛想笑いばかりになってしまいました。
しかし、5年毎日一緒にいたためどうやって離れたらよいかわからず、またAに理由を話してもまたAが可哀想な話として周りに話してこっちが悪者になるのだろうという想像がついてしまい、見動きがとれない状態が2年半ほど続いていました。

一緒にいてもイライラするだけ…でも4人で一斉に離れるようなことをしたら゛ハブにする゛ようで大人気ない…けれど一緒にいても…という無限ループが辛くて、ついにAを避けたり、話しかけられてもそっけない態度をとるようになってしまいました。

するとさすがにAも気付いたのか、二人になった時、私何かした?と聞いてきたので、覚悟を決めて話すと、「友達だと思っていたのは私だけだったんだね」と言われ、大勢の前で泣き始めました。
周りは当然A可哀想!という流れになり、こっちが泣きたくなりました。

ずっと友人だと思って過ごしていた相手が実は自分が許せないタイプの人間だと気づいた時、どう相手と接するのが1番揉めないやり方だったのでしょうか?
ちなみに相手に話して謝ってもらうことでもなく、友人としても関係を修復したいと思っているわけではありませんが、今後必ず何度か顔を合わせる機会がある相手です。

自分で考えていても全く答えがでないので、どうかご指導ください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの本心が答えをすでに出している

この人、ちょっと…。
自然にはなれていきます。
この人、イイなぁ(^<^)
自然に近づいていきます。
全部本心が知っているんです。
それが、本心だからです。
その友人Aに見込みはありますか?
性格、人格が変わっていくであろう見込みがありますか?
その憐れみの心をかけてあげられる友情は残っていますか?
あなたが別に悪いことをしたわけではないでしょう。
あなたが嫌いな事を、彼女がしたのでしょう。
「わがまま」「自己中心的」「我が身可愛さ」
それを優しく指摘してあげたらどうでしょう。あなたにも、それが全くないわけでもないでしょう。
完ぺきな人などいません。
あまり難しく考えずに、お笑い芸人が「お前、〇〇やなぁ。」とライトに突っ込むように、相手のちょっと痛い所をライトに正してあげましょう。
悪い所があったからって、デッドORアライブでは、極端すぎると思います。
極端すぎるから、あなたも苦しい。
75点の彼女を赦してあげてください。
楽しかった思い出もあったはずです。
彼女の性格だって、彼女自身が自分で作ったわけではなく、家庭環境、親御さんとのかかわりでそうなってしまっていただけなのです。
あなたが、行き過ぎてしまった時、止めてくれるのが本当の友人のやさしさだと思いませんか?

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

それでいいのではないですか。

勇気を出して話して良かったのではないですか。そのAさんとは、挨拶ぐらい交わしておいて、距離を置いておけばいいでしょう。
ただ、これまであなたたちが、はっきり嫌なものは嫌だと伝えてこなかった結果こうなったのかもしれませんよ。

価値観の問題だから、人にどう思われるかわからないからと、そのままにしてきたことで、Aさんに何にも伝わらないでここまできてしまったのでしょう。Aさんはあなたたちを利用しようと企んで友達を演じていたのでしょうか。どんなことがあったかわかりませんが、何にも考えないで、あなた方と接してきただけなのではないかと想像しています。

あなたが、思う友達像とAさんが思う友達像が違うのかもしれませんね。

これからの人生を生きていくために大切なことは、友達像を作らないこと。こういうものだというものを先に作ってはめこもうとすると難しくなります。
恋人でも同じ、彼氏とはこうするものと先に決めつけないことです。
合う合わないはあります。受け入れられないときは、やんわりと伝えることも大切かと思います。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

丹下様
丁寧なご回答ありがとうございます。
本当に、ただ自分を肯定するだけではなく、正してくれる友達こそ大切にしなければと改めて思いましたし、これからも友人としてつきあっていきたいと思っているからこそ、何か道を逸れた時に指摘してくれるのだなと感じました。私も自分に当てはめて考えたら重なる部分もあって、今回の件ではよい反面教師になりました。
楽しい思い出があるからこそ、自分の態度に罪悪感もあったので、本当に角が立たないようふんわり指摘できる人になりたいです。

邦元様
丁寧なご回答ありがとうございます。
はい、わたしも自分がずるずるここまで引っ張ってしまった責任もあるのだと反省しました。
正に゛友達像゛がぴったりです。勝手なイメージを押し付けてしまっていたのですね。何度かその価値観の違いから話していても話が通じないこともあり、わかってもらえるまで話すエネルギーがないなと避けてしまっていた自分に反省です。
自分の心からの思いなら、周りに何を言われようと、Aにどう思われようとブレずに貫くべきだったと感じています。
ありがとうございました。

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