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自分と向き合うってなんですか?

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有り難し有り難し 7

こんばんは、あーちゃんです。
そういえば、中学二年から今の高校二年になってもこういうことがありました。
それは、自分のやったことを「あ、ダメだ、こういうことしないようにしなきゃ」と自分で突っ込んだり、自分が間違えたら「じゃなくて間違えた」とかでも、そういっておいてそのままーにしていたら、今ごろになってそのときのことを思い出して「このときは、こういうことなのか?」とかいや、「こうこうこういう風でこうなったんだ」とかしかも、宿題をやってるときだったり、好きなことしてるときとか、家でもそんなようなことが自分には多いですね。
これって自分を見つめてないからなんでしょうか?そんな気がしたので、どうなのかわかりませんが、自分を見つめるときとそうでないときの区切りをつけたいものです。そんな自分に悩んでます。

後、自分を受け入れる気持ちになりません。ただでさえ下向くことがあるのに、自分は考え込んでしまいます。←(本当の本当です(-ι-З)

自分と向き合うとは、お釈迦様のお言葉?で何て言うんですか?そんなような言葉は、あるんでしょうか?
           ❔
         (-ι-З)  


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分を見つめる

いろんな事考えて、後悔してああすればよかった、こうすればよかったと考えることは、自分を見つめるということではないでしょう。
これはすべて、後から過ぎたことを考えているだけ、そこに自分はなく、妄想でしかないということに気づかなくてはならないでしょう。
一般的には、考え込んだり悩むことをいうのかもしれません。
仏教的に「自分を見つめる」、ということは、過去の記憶を追うことではありませんし、想像することでもありません。自分の目、耳、鼻、舌、身体を使い、「今」の様子をありのままに、そのままにいるということです。
それがなにになるの?と思うかもしれませんが、その機能のままにいることが、本能に心底救われる道であるのです。

時に応じて考えることも必要です。大切なことです。しかし、それが真実ではないことも同時に理解しておかなくてはならないでしょう。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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質問者からのお礼

自分を見つめるというのは、過去を振り替えることではないんですね。
身近に教えてもらえて勉強になりました。

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