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仕事が辛い

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大学を卒業して、一年目の社会人生活を終えようとしています。

普段は住宅メーカーの飛びこみ営業をしております。

ここ最近仕事が嫌でしんどくて、会社に出社しようとするとお腹が痛くなったり、夜中に1人で泣いたりしています。
本当につらいときは、仕事中に泣いてしまうこともあります。

成果がないので頑張ろうとするものの、心のどこかで仕事が嫌になっている自分がいます。

社内の人間関係は悪くはないですが、あまり話さないことが多いです。
私以外男性社員で、営業だとほとんど社内にいることがないので、話す機会は少ないです。

休みが水日休みでなかなか大学の友達に会うことができず、相談もできません。

まだ一年目だしまだやめるのは早い
同期が受注し始めている
後輩が入ってくる
同じ支店の女子営業の同期がやめてしまって話せる相手がいなくなった
など、不安要素がいっぱいです。

特に私をしんどくする言葉は、昔より働く環境がよかったという言葉です。
昔よりしんどくないから働けるでしょ?と云われている様で辛いです。

趣味でストレスを解消しようと思うのですが、趣味が旅行で水日休みでなかなか旅行にはいけません。

毎日がしんどいです。

私には明るい未来がやってくるのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

つらくないでしょ?より実際に「つらい」のだからそれが真実。

人は他人の体感を知り得ません。
「は?これしきの事がどうして?」といっても本人にはチョーつらいのですよね。
無理してもいいことありません。
頑張ってなんでもできるんなら過労死する人はいません。
人間は幸せや安らかになるために生まれてきたのに、なんでまたやりたくもない仕事やって苦しみながら死んでいくのでしょうか。冗談じゃねーっす。
旅行が好きならツアコンなさればいいアルよ。タダで旅行も行けるし一石二チョー。
ささっ、善は急げで「行動意欲」が沸いている内に、思い立ったが吉日エネルギー+ZENは急げパワーのダブル効果でさっさとやめましょう。
仕事は無限の種類の仕事があるのに、何でそんなにやりたくない仕事をやってるのでしょう。
といっても本人んはそれができないからチョーつらいのですよね。
あなたの身の中に「かななん」がいるとします。「かななん」を守れるのはあなたしかいないのです。自身の「かななん」救出の為に、女子力を低下させないためにも、もっとイケメンに出会える場を見つけ出すためにも、父母をあなたがボロボロになって悲しませないためにも、もっと素敵で楽しい安楽ワークとの出会いのためにも、思い切ってやめてしまいましょう。
もしくは、禅や仏教を学んで「なにがあってもへっちゃら力」を高めましょう。

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おきもち

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今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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