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気持ちが滅入っています。

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以前も相談させて頂きました。最近気持ちに波があり、落ち込んだり自分の中でパニックになることがあります。色々な方と一緒に過ごしていても、どこか空虚感があり心から楽しむことが出来ません。人間関係、元彼への執着、など色々考えると憂鬱な気持ちから抜け出せず、消えたいなぁと思ってしまいます。
こんな時、前向きに物事を考えるようにはどのような心持ちでいるべきでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悪いこと探しをしている自分を止めるのみ

チョコレートのダースは「イイこと12個」が売りでした。
このイイこと12個のチョコレートをあなたは「悪いこと12個」な目線なのです。
チョコはチョコです。
元々良いも悪いもありません。
ですが、それを悪いものにしているのは誰でしょう?
今与えられている午前中という12個、午後という12個にイイ事探しもしてみてください。
試しにやってみましょう。
・晴れた・ご飯食べられた・あの人に会えた・返信してくれた・洗濯もの乾いた・ご飯美味しかった・虫歯になってない・病気してない・寒いけど服であったかい
…、きりがないですね。
どうですか?
当たり前のことでしょう。
当たり前のことながら、当たり前のことに幸福を見出「す」ことが、あなたの脳内を「いいこと」だらけにするコツなのです。
この世がツマラナイ、悪いことばかり、と思うのも頭の中の「悪いこと12個」という評価に過ぎないのです。評価越しの眺めは、二次的な眺めで仏の眺めではありません。
私にはイイことも悪いこともありません。
物事を無理やりいいことを探そうとか、悪いことばかり見つけようとかしないからです。
常に第一次的に、第一義的にものを観ているからです。
難しいことは要りません。ちゃんとこの道理を弁えればあなたももう悪い事探しをしてブーたれる人生士を卒業できます。どうせ、どうせ、と物事をツマラナクしているのはあなたなのです。
私にはできない、といって、出来ないことを選択しているのもあなたなのです。
今回私が申し上げたことの趣旨は、物事を二次的に観ないという事。
イイこととする前
悪いこととする前。
私の回答だって、悪いこともいいことも書いていません。
あなたがイイこと、イイ所を見出して、あなたの中でイイこととして機能させてみてください。
たった今から人生は変えられる。
あなたの奮起心です。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
💕禅ママ説法💗 禅ママの超簡単!不安消しテクニック! (*´ 艸`) 人生って、ちょっぴり不安がいっぱいよね? でも大丈夫! 「現実」と「頭の中だけ」をちゃんと見分けられるようになれば、不安なんてちっぽけなものよ! だって、みんな「もしも~」「もしかして~」って、頭の中で勝手にドラマ作っちゃってるだけなんだもん。 (˘ω˘) 「あれが起きたらどうしよう」とか「こんなことになったらどうしよう」って、まだ何も起きてないのに、勝手に心配しちゃうのよね。 だから、今この瞬間、目の前にあるものに意識を集中してみよう! ✨ 見えるもの、聞こえるもの、感じてること… そうすれば、どんなに不安なことがあっても、"今ここ" に戻ってこれるわよ! 心配事って、まるで映画の予告編みたいなのよ。 まだ何も始まってないのに、ドキドキハラハラしちゃうでしょ? でも、実際は、今この瞬間、目の前で起きていることだけをちゃんと見ればいいのよ。 そうすれば、心はもっと穏やかになるわよ。 不安を感じたら、ちょっと立ち止まって考えてみてね。 「この不安、本当に今の私に必要?」 「今、目の前で起きていることは、一体何?」 そうやって、現実と想像の違いに気づけば、不安に振り回されることも減っていくわよ。 だから、今日一日も、"今" をしっかり感じて、笑顔で過ごしてね! (*´ 艸`) じゃ、行ってらっしゃい!

小さな喜びを重ねる

当たり前だと思っていたこと、気にも止めていなかったことに心を傾け、有り難いなぁ、可愛いなぁという静かで小さな喜びをたくさん見つけるとよいでしょう。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ