hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

どう生きたらいいか分かりません。

回答数回答 2
有り難し有り難し 30

私は過去に、親からの虐待と性被害にあっています。
今は、結婚して家族もいますが、疲れがたまると、やっぱり私の人生っていつもうまくいかないんだなー。消えてしまいたい。自然の中に帰りたい。と思います。
また、旦那のことも好きですが、私は本来、同性が好きなようにも感じています。
自分らしく生きられていないことも、苦しいような気がします。
とても疲れていて、体が重く、動くのも億劫ですが、今日も仕事です。
どんどん疲弊していますが、前向きな気持ちに切り替えることが出来ずにいて、苦しいです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今年は今年の新しい花が咲く✨今は今でもっとも清らか✨

「過去にこういうことがあった」ということは誰にでもあることです。
その内容が人によってさまざまでいわゆる「痛々しい経験」が良く思い起こされるものです。
現在は過去からの集積の結果でもありますから、その過去も大きく影響しているものです。
ただし、大切なのは過去がどうであれ、それでも今が大事・大切なのです。
北朝鮮であっても韓国・北朝鮮と様々な衝突があっても、今、少しづつ歩み寄ろうとしています。私自身も今日は今日でいつもと違う新しい行動、❝新た❞しい行動をしています。
誰にでも過去はソリャー、マー、モー、いろいろ、大変なことがあるもんです。
ですが、人生において大事なのはそれを転じてより良いものにするんです。
仏教ではこれを菩提心と言います。
どんな経験も、それを自身が幸せになるように、幸せになるために、良くなるためにちょいと働きかけることです。
負の過去、負の歴史は悪く考えると、悪いモクモクガスしか出てきません。
ならばこそ、そういういじり方ではなく、過去は過去として、今は今として、自分の本当の幸せにつながるように工夫をしてみてください。
工夫と言っても、過去のことを思いだした時、何かをこれからやろうとするとそれによってますます苦しみが生ずるものです。
放っておけるようになることです。
自分がこの「思えてしまったこと」に対して何かをすることでかえって苦しくなってしまうということがあるものです。
「触らぬ過去にたたりなし」の精神で、あえてもうその事はその事として過剰に取り上げることなく。
今の自身の目も耳も鼻も口も体も、今日の大地を踏んでいます。
そこは、最も新しい世界です。もう、その地は過去にどんなことがあったとしても今日は今日でまだ誰も手を付けていない、まっさらな大地なのです。
ここでいう大地とは心のコトでもあります。
アナタが出逢っている世界のコトでもあります。
この地、彼の地はまだ誰も触れていないからこそ、本来の美しさがあるのです。
私は過去にこういうことがあったから…と思い起こして、そういうフィルターごしに世界を見ていませんでしたか?
今日のこの景色は、いま新たに。今新しく。今日は今日で産地直送とれたてホヤホヤ新鮮な一日なんです。
どんな過去も皆、今日の一日を新たにより良く生きるためのものです。
素敵な花が咲きますように🌸

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

人生の結果は死ぬ直前までだよ!

しずくさん、こんにちは。

つらい思いを経験されたのですね。
人生上手くいく人なんて、ほんの一握りです。ほとんどの人が、あるいはつらい経験をしていない人でも、自分の人生上手くいかないと感じていると思いますよ。
私も思っていますから。

 でもその中で、小さな幸せで、心をうろおわせながら、努力し、大きな幸せに向かって進むのです。前進した分だけは必ず進みます。自分の夢をもう一度見つけて、努力してください。
忙しい中でも、あるいは主婦として家事の大変さの中でも、あなたの心をリフレッシュさせてくれるものは必ず作れます。趣味でもスポーツでもいいのです。もちろん信仰でもいい、お寺巡りもいい。ぜひ見つけて、それを心の柱にしてください。そして元気になれば、その元気が新たな元気になる幸せを運んできます。どんどん気持ちが好転し、生活の幸せなものになっていきますよ!

がんばって!応援します。いつでもつらくなったら相談してくださいね。合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
★僧伽(お友達)になりましょう。一緒に仏教を楽しみましょう★ Email;kongozaji@renge.net(気軽にメールしてね!)  直通電話:090-6041-0193(最初はショートメールで) ※※※※※※※※※※※※ 山寺の小さな金剛座寺は10月23日に襲った台風21号で、大変な被害を被りました。大規模な斜面の崩落で客殿が倒壊の危機に陥っています。人生は何が起こるかわかりません。復興に向けて20年努力してきましたが、またリセットになるとは思いませんでした。でもあきらめません。仏さまの教えは「一切皆苦」苦難をなくすことではありません。苦難は必ずきます。それを乗り越える心を作ることが、御仏さまの教えなのです。  ハスノハに訪れる皆さん。私と一緒に人生の苦難に正面から立ち向かい、乗り越えていきましょう。仏さまと共にならば、必ずできます。合掌 ※※※※※※※※※※※※ Email;kongozaji@renge.net 在家から天台宗僧侶になりました。田舎のお寺だからできる新しいお寺ライフを試みて活動しています。特技は手話で現在某大学の非常勤講師で初歩の手話講義をしています。NPO手話技能検定協会理事の役職を頂いて手話学習の普及に努めております。社会貢献として保護司のお役を通して社会更生のお手伝いをしております。 どうぞ伊勢にお越しの際は遊びにお立ち寄りください。また活動は三重だけでなく、埼玉・東京・神奈川などの首都圏、または車でいけるところはどこでも出張で活動しています。仏事のことなら気軽にご連絡ご相談ください。お寺には宿坊もありますので、心のリフレッシュをされたいのであれば、いつでもお泊りくださいね。 私と一緒に、お寺の復興を手伝ってくれる方を募集しています。私とお友達になってください。そして伊勢の山寺をあなたの第二のふるさとにしてください。 ●お葬式や法要、納骨をお受けしております。 エリアは三重・中部・近畿から東京・埼玉・神奈川まで、車でいけるところはどこでも走り回っております。どうぞご相談ください。  (メールが有難いですが、直通電話 090-6041-0193 でもお受けします。なかなか出られないので着信を残してください。またはSNSでご連絡くだされば折り返し電話します。なお電話での悩み相談は10分と決めておりますのでご了承願います) ※もし少しでも回答がお力になれましたら、その感謝のお気持ちを、ご本尊如意輪観世音菩薩さまへのご志納(布施行)でお願いします。ハスノハ活動ができるお寺の維持活動に使わせて頂きます。 ゆうちょ銀行100010-67608891 名義コンゴウザジ 百五銀行多気支店(普)221446 名義シュウ.コンゴウザジ 檀信徒・弟子になって一緒に仏教ライフを楽しみませんか?(檀信徒費志納年1万円) 仏教を人生に活かして楽しみましょう。合掌 

質問者からのお礼

染川智勇さま、丹下覚元さま
こんな私に、たくさんの教えを書いていただき、ありがとうございます。
過去のことがふと頭をよぎると、一気に坂を転げ落ちて、落胆しては、どうにか這い上がって…の繰り返しに疲れてしまいました。
私は、まだまだ、自立した人間になれておらず、人に気に入られようとしたり、取り入ろうとして、無理をして、疑心暗鬼になって、一人ずもうに疲れてしまう、ダメな人間です。気に入られるために、何でも頑張ってしまいます。相手の顔色を伺って、相手がどんな反応をするか試したり、自分が優位になったような気で、おちょくった発言をしたりすることもあります。本当に最低です。
もう、こんな生き方はごめんです。もっと心に素直になれる強さを身に着けたいです。もっと優しいコミュニケーションができるようになりたいです。
今の私は、不安ばかり高くて、素直じゃなくて、相手を疑って、したくもない言動をして後悔して、自分を傷つけています。
ですが、和尚様のアドバイスを読んで、私は読書が好きなので、図書館に行ってみました。そして、過去の自分はさておき、これから自分がどう生きたいかに目を向けようと思いました。
それでも、失敗ばかりで、なかなか、いい人間にはなれません。私は不出来です。空回りばかりで、みすぼらしいです。それでも、生きてていいのでしょうか。
私の生きる軸は、まだ不幸の中にあるようです。もう、こんなことの繰り返しはやめたい。潔くイカリをあげて、方向転換して、楽しい人生に舵を切りたいです。
今は十分、幸せなはずなのに、自分から不幸になるように、不幸の種を探したり作り出そうとしていました。
また、つい不幸を探している自分に気づいたら、それはもうやめます。ありもしない蜃気楼のような不安が見えてきたら、楽しみの方を見るようにします。
乱筆乱文で、失礼しました。
いつか、お寺に伺いたいです。きっと、行くと思います。
今回も、お二人の温かいお言葉に、勇気をもらいました。本当にありがとうございました。

煩悩スッキリコラムまとめ