自分の過ちとどう向き合えばよいですか
私は、悪口でたくさんの人を傷つけました。
当時の私は「すべて相手が悪い」と思っており、自分のしていることは間違っていないとすら思っていました。
自分のしてきたことの間違いにようやく気が付いたときには、傷つけてきた人々への罪悪感や、羞恥心でいっぱいになりました。
ですが相手に謝ろうにも、連絡先や現在の相手の状況などはまったく知らず、どうしようもありませんでした。
あれから数年経った今でも、自分の過ちを許すことはできず、毎日自己嫌悪に苛まれています。
しかし、私が傷つけてきた人々は私以上に苦しい思いをしたのだと考えると、今自分が苦しいと思っていることすら申し訳なく思います。
私はこれからどうすればよいのでしょうか。
救いを求めることは、してはいけないのでしょうか。
どうか教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
遠い過去世から過ちを繰り返してきた
今日から再出発するしかないでしょうね。
数年前の過ちだけでなく、私達は、遠い過去世から何度も何度も生まれかわりを繰返して、過ちを繰返してきたのです。
ですから、数年前のその過ちが特別な過ちだと思って慌てふためく必要はありません。
悪いことをしてもよいという意味ではなくて、もっと膨大な罪をすでに背負って生まれてきたのです。
生まれかわる前に傷つけてきた過去の相手はもう探しだせません。
私達にできることは、今日、今この瞬間をどう生きるか、だけです。
後悔は悩み苦しみの原因、後悔は消すべき煩悩です。
明るく前向きに、今を改善するのがよいでしょうね。
仏教の「救い」は、悩み苦しみを消したり制御することです。
どうぞ、今・ここで、「救い」を求めてくだい。
時にはこんな角度から
こんにちは。このhasunohaは、お一人お一人の「問い」について、いろんなお坊さんが、「あなたに合わせた」お答えを下さるサービスですが、インターネット上にある利点として、「他の方の相談も見られる・検索できる」ということがあげられます。
ですので、いったんトップページの「検索窓」に「過ち」と入れてみてはいかがですか?「事実は小説より奇なり」で、多くの方の「自らの過去の過ちに向き合いたい」という姿を見ることができますよ。それはある意味、お坊さん達よりも、もっとあなたに近い存在かも知れません。
私から一つだけお伝えするとしたら、「そこに気づかれた・人を傷つけ来たことや、今更取り返しのつかないことに気づいた。それは良かったですね。自分のことを謙虚に見ることができて、良かったですね。今からの生き方について、少し方向性が見えて良かったですね。”どうしようもない”部分が見えると、逆に”どうにかできる”部分も見えてくるものです。その”どうにかできる”部分について、トライしてみて下さい」です。
質問者からのお礼
ありがたいお言葉、ありがとうございます。
願誉浄史様
仏教にはそのような考え方があるのだと、はじめて知りました。自分が犯した過ちを忘れず、しかし今を蔑ろにすることはないよう、努めたいと思います。本当にありがとうございました。
佐藤良文様
教えてくださったように検索をかけてみますと、私と同じように悩んでいる方がたくさんいて、こういう感情はふさわしくないのかもしれませんが、心が少し軽くなりました。
これからは自分のことを客観的に見て反省しながら、今を大切に生きていこうと思います。
お二人とも、本当にありがとうございました。
これから、一日一日を大切に、しっかり生きていこうと思います。