父がお数珠を無くしてしまいました
先日、父がご近所の葬儀に参列した際、手にしていたお数珠を無くしてしまいました。
どうやら棺にお花を添える際に棺の中に落としてしまったらしく、母は「お数珠があなたの厄も昇華してくれたのよ」と言っておりましたが、父は相当気にしている様子です。
お数珠は母の亡父が我々家族に揃いで用意して下さったもので、これまで長年大切にしてきたものでした。
それゆえ父の心境が推し量れ、私自身も気持ちが晴れません。
このような場合の心の持ち方・考え方を知りたく、同時に、父に新しいお数珠を用意する際、どこでどのように賜るのか、また、家族全員の分を一緒に揃えるべきなのか、ご教授頂けますと幸いです。
お忙しい中、小さな質問で申し訳ございません。
宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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執着は悩み苦しみの原因
仏教は悩み苦しみをなくすための教えです。
仏教アイテムのために悩み苦しむのは本末転倒です。
仏教では、執着は悩み苦しみの原因だと考えます。
なくしてしまったものは仕方ないのです。
刻一刻と変化し続ける現実に対して、身軽な心、柔軟な心がなければ、ストレスは増えます。
この機会にご家族で仏教を学んでみてください。
数珠以上の宝物を仏の教えの中にみつければ、数珠をなくしたことも無駄ではなくなります。
お数珠は自分の魂!
更級桔梗さん、こんにちは。
父が数珠をなくして、気にしているのですね。
お数珠は仏教徒にとっては大切な信仰アイテム。特に木質の数珠は使えば使うほど味が出てきますので、簡単に変えずに、直して長く使用される方もたくさんおられます。
父も祖父から頂いたお数珠として思い入れもあったのでしょう。亡くしたことを悔やむのはとても素晴らしい心だと思います。でも形あるものはいつか壊れる、亡くなるは、お釈迦様の金言です。
見方は二つ。母からいわれたように厄落としと思って感謝し、あらたにお数珠を購入すること。
もう一つは、お数珠をなくすような、うっかり気持ちを、これから注意するきっかけにすることですね。
新しいお数珠ですが、仏具屋で買うだけでも良いのですが、父の信仰、人生の節目にしたいのであれば、お寺に行って開眼してもらってお説法を頂くのも良いでしょう。また無理して家族全員で買い替える必要はありません。人それぞれ、扱い方が違うのですから。
ぜひ、父の人生の節目として新しいお数珠をご用意してください。合掌
質問者からのお礼
▼染川智勇 様
早速のご回答、ありがとうございました。
父も使っていたお数珠に思い入れがあったが故に、深く悔やんでいるのだと思います。
染川様のご回答にありますように、これまでのお数珠に感謝し、この先のうっかりミスや気持ちの緩みがないか見直す心に繋がっていくように、自分自身も含めて教訓と致します。
新しいお数珠は、当家菩提寺のご住職さまに相談し、開眼・ご説法とともに賜るよう、父に提案したいと思います。
貴重なお言葉、ありがとうございました。
▼願誉浄史 様
ご回答ありがとうございます。
「思い入れ=執着」となれば、それらを振り切るには大きなエネルギーが必要です。
俗人であればなおさら難しく、しばらくは後悔の念が消えないと思います。
しかし、願誉さまがおっしゃるように「なくしてしまった」という事実は変わりません。
お数珠を無くしてしまった現実に対し、向き合い方や心の持ち方を学んでみたいと思います。
この度はありがとうございました。