怒りは悪なのか
怒る事、それを相手にぶつけることは悪ですか。
相手に期待しない、相手を許す…。
無理をすれば、一時的に争いは避けられるかもしれません。
だけど、上記を【普通】にすれば、心優しいまともな人ばかりが損をして、心無い自分勝手な人が伸び伸びと生活できる世の中になりませんか。
生まれてしまった怒りはどう処理するのが正解なのでしょうか?
例えば、カチンとくる一言を投げかけられたとき、それを笑って許すべきなのでしょうか。
無理をすれば出来るかもしれませんが、ずっとは無理です。
その場で怒りを表して後悔したこともあるし、かといってその場は我慢して持ち帰っても自分の中でモヤモヤが溜まる一方です。
生まれてしまった怒りと上手に向き合う方法があれば、もっと心穏やかに過ごせる気がするのですが、向き合い方がわかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
怒りは悪(悩み苦しみの原因)です。
怒りは、悩み苦しみの原因です。
だって、怒ってる時点で、怒ってる本人が一番苦しんでますからね。
仏教で「悪」とは、悩み苦しみの原因である、という意味です。
苦しみ(苦痛や不満)は、誰にでもあります。(一切皆苦)でも、苦しみに対して怒らない方が自分のためです。
たとえば、注射される痛みは誰にでもあります。
しかし、大人は、注射が痛いことに対して怒りません。
一方、幼児は、注射が嫌だと泣いて怒ります。
怒ったからといって、注射の痛みはなくならないのに。
で、相手が間違っている場合ですが、相手が間違っている(自分と他人の悩み苦しみの原因を増やす行為をしている)ときは、間違いを指摘し、より良い行為を教えてあげれば良いのです。
怒りではなく慈悲の心で、間違いを正すのです。
注射が下手な看護師さんがいて、あなたが上手なやり方を知っている場合、「もっとこうした方が患者さんは痛くないよ」と教えてあげるのです。
生老病死の4つは、人間の思いどおりにいかない「四苦」です。
これに、愛別離苦・恨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の4つを加えれば「八苦」。
人間は皆、四苦八苦を経験します。
夏が暑いのはあたりまえ、生まれて苦しいのもあたりまえ。
あたりまえのことにいちいち怒っていたら無駄に疲れるだけだ、と冷静に受け止めましょう。
追記
本当の正直者は、自分が正直者であることに自己満足して幸せを感じられるので、裏切られたって平気なのではないでしょうか?
ある意味、正直者こそ、他人を相手にしていない究極の自己中です。
裏切られたとか馬鹿を見たとか言うのは、他人に期待しすぎかもしれません。
質問者からのお礼
慈悲の心で接して裏切られる、これも当たり前のことなのでしょうか。
まさに「正直者が馬鹿をみる」世の中…。
裏切られた事にすら気付かない、だから平気。他人に良いように利用される人が「良い人」ばかりな理由がよく分かりました。