わからないは、やる気ないですか?
私は自分がよくわからないときがあります。
苦しいからカウンセリング通ってたんですが、
昔のある出来事について聞かれて
どう感じたの?と言われ、
うーん。ごめんなさい。わからない。と答えました。
本当に自分がどう感じてるのかわからないのです。
わからないから困ってるんです。
すると、
わからないなんて、
やる気ないんですね。そのままで居たいならどうぞと言われました。
困ってるから来たのに、
悲しくなってもうカウンセリングに行く気持ちが持てないです。
でもこのままでは嫌です。
わからないなんて
甘えですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「分からない」ことは分かってる。
まさしく禅問答的なタイトルですが。
以下は、殆どが僕の空想・推測です。あなたに何かを教える積もりはなく、「問い」を読んだ上で妄想したことを書いていますので、そこはご注意下さいね。
「困っている」のは「自分がどう感じているか、分からない」事についてですね?
それは恐らく、「自分の感じている事を言葉にしない事で、何らかのメリットを得てきた」とカウンセラーさんが推測したのだと思います。メリットとはつまり、自分を守る方法。
「自分の思いが分からなくて困っている」けれど、何かそういう対応(自分の感覚に名前をつけない)を選ぶに到った原体験を探ろうというのが方針なのかな、と思いますが、強い言葉をつかったのであれば、それをキッカケにして、その「原体験」の感覚を呼び起こそうとしたのかも知れません。
そこであなたは「悲しくなった」。それも、「自分の思いを探る」ことへからの回避を感じます。その体験のシーンを思い出す中で、自分の居た場所・近くに居た人・シチュエーションを思い出す中で、だんだん自分の行動や、その結果を思い出す。大抵は辛いシーンです。辛いから思い出したくない、触れたくない。「覚えていない」ならば、そんな大したシーンではなかったということです。
「自分が分からない」には、過去に「自分の気持ちを表明しない方がいい、自分の気持ちを感じない・大切にしないほうがいい(してはいけない)」という経験のあったことが推測されます。自分より、他人を通す。そのためには、「自分の気持ちは無視する・封印する」必要があるのです。
と、勝手な推測を並べ立てましたが、いかがでしたか?
「こんな風に困っている」という事を書かれると、もっと沿った「お答え」がいただけると思いますよ。
カウンセラーは自分たちの手法に当てはめようとする
そこで「けっ(-"-)」となったカウンセラーは大した奴ではないという事がわかったのです。(笑)
彼らは要は自分たちの手法に当てはめていこうとするからです。
「アンタ治りたいんでしょ?じゃあ、金払いな。んでもって俺たちの治し方のマニュアル通りにイエスかノーで答えな。時々、色んなこと聞くけど、俺たちはその答えによって分析結果が分かるんでちゃんと答えな。答えてくんなきゃ直してやらねえぞ」って言ってるのです。
だから「何、オレの質問に答える気がない?やる気ねーな、ちっ。」ッとなったのでしょう。
愛の無いカウンセラーだねぇ、そいつは。(。-`ω-)
あなたは別にやる気がないわけじゃないよねぇ。本当にわからないんだよねぇ。そういうことだってあるもんね。私だったら「つーか、何だその質問。無茶ブリもいい加減にしろや。お前、そんな事毎回考えながら生きてると思ってんのか?このマニュアル人間めが。」とかいってしまいそうです。(笑)
世の中には医者といっても弁護士といっても政治家といっても僧侶といっても事務的人間、マニュアル通り人間もいるものです。そういう人間だったんだと思って自分を悪く思わないことです。
質問者からのお礼
ありがとうございます。自分がわかると都合が悪いんですね