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ツンケン

回答数回答 2
有り難し有り難し 26

最近、いろいろな人に優しくなれません。
口調がキツイところもあります。
ツンケンしてます。こんな私は嫌いです。
お坊さんはツンケンのとき、ありますか?
どうしたら優しくなれますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

気持ちに余裕があると

他人に優しくできないときは、気持ちに余裕がかないときではないでしょうか?

なぜ、余裕がないのでしょうか?

何かトラブルがあったら、
「ま、いいか。別に死ぬわけでもないし。仮に死んでも極楽浄土に往生できるし。南無阿弥陀仏。」
と心の中でつぶやきましょう。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

ツンケンの地盤は何でできていますか?

ツンケンするというのはツンケンする条件付けがあるはずです。
何か事前にこうしてもらいたいとか、こうあるべきだという思いが先立っているはずです。
人間というものはそういう風にできています。
そういう風に作られています。
だから、この仕組み、つんけんするメカニズムを知ってその条件付けを事前に起こさなければ、つんけんの条件づけが無くなりますので、つんけんしないで済みます。

人間は知らず知らずの内にワタクシを立てています。
ワタクシを立てるということはこの身心を自分だ自分だと過剰に認めることです。
自分を認めると自分のルール、自分の条件付けが沢山生まれていきます。
このことを知った祖師たちは坐禅をしたり、仏行という無私無我の行を深めて、自分ではないからだの働きに身を任せて、自分の我欲や条件付け、事前設定というマイルールから離れていったのです。
難し道理ではないはずです。
つんけんするより、しない方が心は楽でしょう。
今後ツンケンするより、今後ツンケンさせないよう、しないようにさせてあげてください。
この身心というものの総責任者はあなた自身です。
自分をつんけんさせ無くすることはできるのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

願誉浄史 様
おはようございます。
ご回答、ありがとうございます。
将来の事などが不安で、いつも余裕がありません。
願誉浄史さんが、おっしゃるように心の中で、つぶやいてみます。

丹下覚元 様
こんばんは。そして、ただいま。
仕事の休憩時間に読みましたが、あまり頷けず自宅に帰ってきたので、ゆっくり読みました。
とても とても納得しました。
気がつけば、いつもワタクシでした。こんなに頑張ってるのに、等です。
いつか誰かが言っていました。見たもの、聞こえたもの、味、肌で感じたもの、それだけ。
とても良い1日の締めになりました。
ありがとうございます。

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