もう生きたくない
死にたいです。
いじめで暴言を吐かれ続け、何かすると笑われ、監視され、何を話しても理解してもらえず、いじめをする側が得する世の中。人間が怖くなり信用出来ず、外に出るのも嫌です。
私の周りは話を聞く耳を持たず、友達と呼ばれる人は所謂フレネミーです。私を苦しめた人間みんな死ねばいいと思っています。
もう疲れた。どうせこれから先も今までみたいな人生になるんだろうな、と思います。生き方がもう分かりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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そんな環境、今すぐ離れたらいい。
そぅ。。。そんな環境、今すぐ離れたらいい。
あなたが、理不尽に苦しむことなんて、ないのだから。
本当に、あなたが言うように、平気で人を傷つける人なんて、いなくなれはいいのにね。そしたら、誰も涙を流さなくていいのだものね。
あなたが、この世から消える必要なんてないんだよ。あなたが、悪いわけじゃない。
イジメは、いつだって、するほうが悪なんだから。
お母さんには、話せる?
これからのこと、相談してごらん。
もちろん、私もいるよ。
このハスノハだって。
あなたを心配し、支えてくれる人は、ちゃんといる。だから、今の環境に、もぅ耐え続けなくていいんだよ。
いじめは良くない
しばらく人から離れ過ごすのもいいでしょう。学校が嫌ならいかなくてもいいでしょう。そしてその間に、人間の本質について少し知ることができるといいかもしれません。とっても生きやすくなると思います。つまり仏道を知るということです。はじめは知識として知ってもらう。そのあと実践してみる。生活の中でそのようになっているか確認してみるということが必要になると思います。
「周囲の人の対応が冷たい気がする」「私のことをこんな風に思っているのではないか」「私なんてどうせ・・・」こんなことを考えていたら辛くなります。だから考えないのです。だってこれ全部自分で考えたことなんだもん。もちろんいじめがなかったと言っているのではないですよ。「いじめで暴言を吐かれ続け、何かすると笑われ、監視され・・・」といったことはいじめだと思います。しかし、それに加えてネガティブな思考がプラスされてしまうと益々あなたは辛くなってしまいます。だからこそ、冷静に価値観や理想、想像考え、評価を抜きにして物事の本質を見抜く目が必要になるのです。
仏道は自分自身を知る道です。人の評価や自分の価値観、人間の見解を超えたものです。「自分っていったい何なのかな」この疑問の答えを自ら見つけるのです。そのためにも、事実と妄想との区別ができなくてはいけません。事実とは「目・耳・鼻・舌・体」を使い環境と一体となって感じるものです。時間でいえば「今」場所でいえば「ここ」のことです。あなたは目を開ければ目の前の様子がわかるでしょ。それが事実。パソコンの画面がある。「ディスプレイだし」「いやスマホだから」なんてことを思う前の目の働きがある。それをそのように映し出す力がある。好き嫌い、損得はないでしょ。そうした事実に学ぶのです。それ以外のことは、考え方や妄想、記憶でしょ。数秒前の記憶をこねくり回し嫌だ好きだ、損だ得だ、善だ悪だとやるのです。すべて幻のようなものです。私たちはリアルを生きています。その道を知る必要があります。
興味があったら一度、円通寺HPをのぞいてみてください。facebookページなんかもありますのでどうぞ。
最後に、いじめは間違えなくする人が悪いことです。あなたは堂々とあなたの道を歩み生きて行ってほしいです。学校に縛られる必要もありません。ねばならない、こうするべきというのは人間の考えた価値観に過ぎないのですから。