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どうしようもないことに悲しみ苦しんでいる大事な人

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身内が一年ほど前からとある内戦に深く関心を寄せております。TwitterといったSNSで現地の人と交流しており、爆撃などの現地の悲報に本当に身に迫った悲しみを抱いています。夜寝れなくなったり、たくさん涙を流しています。なんとかするためにささやかながら活動も行っています。

昔から正義感が強く優しい、理不尽な事が許せない人であり、そういった部分を私は本当にすごい人だなと以前から尊敬しているのですが、今回のことはあまりに途方がなく、辛そうにしている姿が見ていられません。

もちろん、感じていること、やっていることは正しいことなので、止めさせたい、否定したいというわけではありません。ただ辛さを緩和させてあげたいのに、その人の面している問題が巨大すぎて、どんな言葉をかければいいのか、どんなことを言っても無意味な慰めのようにしか思えず、心のモヤモヤが晴れません。活動を共にし少しでも共有するということも考えましたが、私自身学生の身で、ふらふらと進路も定まらず将来もおぼろげであり日々不安で、恥ずかしながら他のことに親身になることができません。

その人の悲しみを少しでも和らげるためにはどうすればいいでしょうか?回答お待ちしてます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

寄り添う

正義感が強く、実直な方だ、私もそう感じます。

ご身内のなさっている事、それは途方もないことですし、できる事も限られている。
その中で、自分の出来る最大限の活動をされていると私は思います。

申し訳ありません。
ただ私が思うに、あなたは、立場的にもその方へのサポートには限度があります。

もし、あなたが何かその人のためにしたとしましょう。
そうなると、そのご身内の方も、あなたに親切を返さなければならない義務が発生します。
それはそのご身内の負担になりかねません。

例えば、同じくチームを組んで活動しているならば、別の話ですが。

あなたは、そのご身内のあるがままを受け入れ、気にかける。
「受け入れる」とは、その人が、苦しみ悲しみ疲弊しながらも、活動を続ける姿を、見守るという事です。

そこには、その人に何かしなければとか、見ていて辛いとか、そのようなものはありません。
その人が活動をしている、その一点のみをあなたの中で、受け入れる。

見た目は何もしていないように見えるが、心は大きく動いている。
それはその人と、心をひとつにするのではなく、あなたの一存で見守ること。

そのような寄り添う在り方で関われば、具体的にどうすればなどという疑問が消えていくのではないでしょうか。

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有り難し
おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいったい何か?と、考えています。 僧侶としての根本は、朝のお勤めだと考えております。 週に2回、お寺で空手教室を開いております。 近隣の子供たちに、礼儀作法を伝える。 これも寺院の持つ役割である、地域貢献に繋がると、少なくとも私はそう思い、精進しております。

大事な人が望んでしていることならば

そのご友人は「どうしようもないこと」だからこそ「何かできることを」と思い、望んで現地の方々と交流し悲しみを供にしているのでしょう。
それは望んでしている事であり、悲しみを供にするところに意味を見出しているのでしょうからそのままでいいのではないでしょうか。

「悲しみを少しでも和らげるため」というよりは、これまで通りにご友人と過ごしたり、本当にしんどそうなときには「無理しないでね」とか「ちょっとは休んだら?」と声かけしたりということでしょうかねえ。

ご友人が夜寝れないことで生活に支障をきたし、自らの生活がおろそかになるほどのものであるのなら「まず自分が幸せでないと大事な活動も継続できないよ」と声をかけてもいいかもしれません。

とりあえずはご友人が望んでしていることなので「見守る」というスタンスでよろしいかと感じます。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

海老原さん、吉武さん、回答ありがとうございます。
その人自身体が弱く、心配になってしまう気持ちはいまだに残っていますが、アドバイスを胸に、見守る、受け入れることを実践していきたいと思います。
だいぶ心が楽になりました。改めてありがとうございました。

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