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夫との喧嘩が絶えない

回答数回答 1
有り難し有り難し 24

よろしくお願いします。
訳あって私も夫も親戚と疎遠でお互いに
相談できる友人もおらず 絶えず2人きりで居る状態です。
私は専業主婦で日中誰とも話さない日がほとんどで、更年期の為か体調不良や孤独感、イライラする事が多く漢方薬や精神安定剤を飲んでいます。
体調に自信がないので 仕事もできず、
習い事に参加してみたりするのですが
悩みを相談できるようなお友達ができるまでに至りません。
夫に話を聞いて欲しいだけで話しかけるとせっかちなので 話しを最後まで聞かず、思い込みで結論付けたり、
イライラしてつい言ってしまった事には他人には言えない性格なのに 私には言い訳や自己主張が延々と2〜3時間返ってきます。
私も言わないように努めるけど、こういう時なので 聞き流して欲しいと言うと 最後には謝って今後は体調不良のせいでの事なので聞き流すと自分から約束するのですが 数分ももちません。
いつも裏切られた感じで 喧嘩がエスカレートしてきました。
冷静な時は夫のおかげで生活できている事に感謝できるのですが、イライラの頻度が多くなってきました。

何処にも相談できず どうしたらいいかもわからず悩んでいます。

よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

女性の悩みは相談する相手を間違えないこと

それはそれは大変でした。
おつかれさまでした。。
まぁ、多分…、ご主人とはそういう会話は現在の所無理かと。
旦那さんは最後まで話を聞いてくれないでしょう。
というのも男性は社会で「いかに速やかに問題を解決するか」に命を懸けているところがあります。
一方、女性は受け止めてもらいたい・聞いてもらいたい・共感してもらいたいことが優先されると言います。(私は男なのでわかりませんが世間ではそう言われておるようです)
「相手の言葉のイチイチに過剰反応しないこと」です。
本道・趣旨・イイタイコト・わかってもらいたいことを先に行ってしまうことです。
「ちょっと、きいてもらいたいことがあるんだけど」
「ただ、受け止めてもらえるだけでもいいんだけど」
「答えを求めているわけではないんだけど、ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど、いまちょっとイイかしら…」
と前フリしてからの、お話がおススメです。
最後まで話の腰を折らずに…を3回くらい言う必要もあると思います。

お勧めはあなたがものすごいコミュニケーション能力を高めることです。
要は旦那を冷静に論破できるくらいの冷静さを持てばいいのです。習い事をされるならそれが一番お勧めです。
落ち着いて、冷静に、感情的にならないこと。
これは夫婦の永遠の課題です。ここからはいくら逃げても戦争勃発・再炎上・冷戦は避けられません。
どっちもお互い相手の話を聞いておられないのではないでしょうか
みんな自分の事しかないのです。
自分のしたいことをしたい生き物なのです。
ぶっちゃけ、あなたもここでは旦那さんへの擁護やねぎらいの言葉ひとつありません。旦那さんがみたら「やれやれよく言うよ」とばかりになるのではないでしょうか。
自分が正しいとか、相手がどうこうとかを言いますと問題の解決にはなりません。
問題の解決方法アイデア
「自分の事ばかりを言わないこと」
「お話をするにはルールを作る」
「人の話は最後まで聞く(ただし)長い話は制限時間を設ける」
「相手を攻撃・非難する言葉をお互い慎む」
「相手に高い人格を要求しない」
「お互いに自分ルールを押し付けない」
☆外の問題・他者の問題であっても、それを問題にする心はこちら側にある。
だからこそ、過剰に反応して自ら苦しむ自身の心をこそをおさめる必要があると祖師たちは気づかれて仏法を求められたのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

お忙しい中 早速のご回答を有難うごさいました。
大変ご丁寧に解り易いお言葉でお教えいただきまして
有り難く心に留めて自分自身を見直したいと思います。
お教えいただいた事を今日から実行してみようと思います。

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