どうして幸せになれないのか
姉と同じ進学校の高校へ通いたかったが、受験に失敗し、行きたくない私立高校へ通うことで仲良しの友達ができず、つらい高校時代を過ごす。親にも迷惑をかける。大学は専門職の資格をとれる大学へ進学し、勉強とバイトと1人暮らしを頑張り、友達もたくさんできるが、4年のときに精神科病棟の実習で急性ストレス障害になり、抗うつ薬や安定剤を服用するようになる。何とか死ぬ思いで実習を終え、国家試験にも一発で合格するが、新卒で就職した病院で、すでに限界だった体調と精神が崩壊し、わずか5ヶ月で退職。専門職の資格があるのに、その後は非正規で手取り12万と少しのわずかな給料で働く毎日に負い目を感じる。周りの正社員と同じ資格を持ち、仕事も同じ量をこなしているのに、私は非正規社員。頑張っているのに上手くいかない、そんな自分の人生と向き合い、受け止めるのがもう苦しくて、自己嫌悪と自己否定の毎日。親にもこの歳で迷惑をかけていることが苦しい。姉は医療系の資格者で新卒で就職した病院でずっとバリバリと働き、キャリアもある。今は結婚もして現在子育て中。すぐ仕事復帰する予定であり、まさに親孝行の姉。子供の頃から、できる姉とできない私に自分で比較してコンプレックスを持っていた。そして私は彼氏ができたこともなく、ここ2年婚活を頑張り、30人以上の人とデートするも毎回上手くいかず、そんなとき初めて好きになれる人と出会うが、セフレとして扱われ、半年間我慢して毎日体を許すだけ過ごすが、相手には若い彼女がいるので、毎日辛くて限界になり、関係をはっきりさせようとしたら、キレられ、もう会うこともできない。彼氏ができたことがないのに、処女ではないという、汚くて醜い女。
私って何なんだろう。頑張っても頑張っても報われない。姉と比較して落ち込み、姉と同じように頑張ると、体や心が悲鳴をあげて挫折してしまう。私にもたくさんいいところがあるのに、人生に役立てることができない。誰からも愛されず、必要とされず、両親にはこの歳で経済的に援助を受けて、自立もできていない。好きな人には都合のいい関係に扱われ、人間としても否定された気がして、もう何を希望に生きればいいのか分からない。朝起きると絶望感でいっぱいになり、夜は眠れず安定剤が手放せない。私に幸せは訪れますか?苦しい、辛い、もう頑張って人や自分に裏切られるのが怖いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
追記4月12日。不幸だと思う人が不幸。幸せだと思う人が幸せ。
自分で自分を不幸だと思っている人が不幸です。
自分で自分を幸せだと思っている人が幸せです。
あなたは、なぜ自分を幸せだと思わないのでしょうか。
欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩は、悩み苦しみの原因になります。
あなたは、大学を卒業して資格もとり、正社員ではないけれど失業はしていない。
日本人の中でもけっこう恵まれている方だと思いますよ。
また、あなたの資格があれば、正職員の募集をしているところはけっこうあります。
地元にこだわらないなら。
いずれにせよ、あなたは、心の持ち方を変えるだけで幸せになれます。
私は今、幸せです。
夜中に目がさめて、布団の上でスマホを眺めているだけです。
今・ここの瞬間には、仕事のこともお金のことも恋愛のことも頭の中にありません。
ただ、スマホでこのサイトを眺めているだけ。
ただそれだけ。そこに、幸せがあります。
あなたは、目の前にないものを追い求める前に、目の前にあるものだけで満足感を感じる練習をしましょう。
今すぐ、「私は幸せだ」と心に念じましょう。
幸せな理由は、そのあとに脳が考えてくれます。
追記4月12日
幸せを邪魔するものは、欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩です。
煩悩を制御したり消したりすれば、幸せを感じやすくなると思います。
そのためには、苦・無常・無我を理解するのが有効で、そのために仏教を学んでいただきたいです。
まずは、自分のプライドの煩悩に向き合うこと。
自分という存在は概念にすぎないという仏教の知識を学びましょう。
たとえば、「私」は、瞬間瞬間に生じては滅する5つの要素(色・受・想・行・識)のからみあいにすぎません。
それを念頭に、「私」は概念にすぎない幻、だから、私を守ろうとするプライドの煩悩も勘違いにすぎないと、理解を深めていきましょう。
とりあえず、仏教の基礎的な知識を学んでみてください。
プライドの煩悩が強い場合は、他人から言われるより、自分で学んだ知識のほうが受け入れやすいかもしれません。
自分で読んだ本、自分が受けた研修、自分がネットで調べた知識、など。
ですから、あなたが主体的に仏教を調べてみてください。
矛盾するようですが、「自分」という概念を破壊するために、自分で学ぶのです。
どうして幸せに気が付かないのか?
どうして幸せになれないのかって?
自分の不都合や失敗、欠点ばかりを数え上げれば、
誰だって絶望的な結論に至るに決まってるだろう。
逆に、一見何気ない、どうってことないような、普段はごく当然としているような事でも、好都合な事や成功体験、長所などを数えていけば、たとえどんなにドン底に陥ろうとも決して希望を失いはしない。
他人と比べては、
ない、ない、ないと無いものを数えては無い物ねだりをしていないで、
ある、ある、あるとすでに与えられているものにちゃんと目を向けよ!!
不幸自慢は何よりもみっともなくかっこ悪い。
生きているかぎり、あなたの人生にもちゃんと明るい未来が待っている。
だから、よそ見ばかりしてないで、しっかり前を向いて歩け!!
<追記>
"必死になって見つめているからこそ、努力や頑張りが報われず苦しいと言っているのに… "
こう言えば響きは良いかもしれませんが、あなたの仰る”努力”や”頑張り”で求めているものは、棚からぼた餅のような【願望】であって【道】ではないということが、質問文のみならずお礼のコメントでもよくわかりました。
”期待した私がバカでした”
あなたの願望を満たすような耳触りの良い言葉程度のものでよければ、仏教や心理学者のセミナーよりも、ホストクラブや適当な新興宗教などをご利用なされたほうが、もっともっと存分にヨイショしてくれると思いますよ。
”お坊さんはしょせん人間でその程度”
なんかスーパーマン的なものだとでも思ってた?坊さんに棚からぼたもちを期待されてもねぇ…
”友達に相談するより一般的なありきたりな回答でがっかりした”
ありきたりな回答、つまり常識があなたには身についていないから物事がうまく運ばない。
足し算引き算すら理解していないのに、かけ算わり算ができないと嘆いている小学生と原理的には一緒ですね。
”余計虚しくなりました。”
きっとそうでしょうね。マイナスの勘定ばかりしていれば、誰に何を言われてもそんなもんです。
いつか、あなたの【我慢】がぽろりとはずれる日が来ることを祈っています。拝
幸せとは何か
まりさんにとっての幸せって何でしょうか?大学時代は幸せでしたか?
幸せというものがある特定の状態だとするならばその幸せは不完全なものとなってしまいます。
仏教では諸行無常を説きます。変わらないものはありません。
つまり、幸せだと思っていた状態は変わるし、状態について満足していた人間の心もまた変わり、ついには幸せだと思えなくなります。
最新の物が出れば今の物が劣って見えますし、何かその時は満足するものを手に入れても今度はそれが失われないか不安になる様に。また、永遠に続く状態などありませんしね。
頑張っても頑張っても報われないことは確かに希望も見いだせずお辛い事と思います。
しかし、その頑張りは頑張らなければいけない事でしょうか?頑張りたい事ではないのでしょうか?
〇〇であるべき
〇〇でなければならない
人は自分で自分を縛り、いつのまにか〇〇であることを目的化してしまっているものです。幸せとは〇〇になることではないでしょう。
〇〇であってもなくとも、あなたがあなたに満足できることが幸せではないでしょうか。
なお、その時の満足というのは私の都合に合うかどうかではなく、私の納得を超えて、今のこの身が私でしかないという事実への深い頷きです。
私がいかに私が嫌いでもこれが私は私でしかないからです。その私に頷けずもがくことを仏教では「空過(くうか)」と言います。
何をしてもどうなっても空しいということです。
私がまずいて私に良い縁や悪い縁が降りかかってくるのではありません。私が勝手に良い・悪いと解釈している数えきれない縁そのものが今の私を存在せしめているのです。
その存在の事実に頷けない限りは縁にしたがい変わっていく状況が目の前を空しく過ぎゆくばかりです。
あなたはあなたであなたのままに
頑張りたい事を頑張るのならそこにすでにして頑張れる私があったのだという幸せはあるのです。
今はまだ親に迷惑をかけても、姉と比べて落ち込んでもそれでよいでしょう。あなたがあなたという存在に頷くためにもがいてみてください。もがいてもがいてもがき切って力が抜けた時に気づくこともあるかもしれません。
幸せとは訪れる状態ではなく、自分の目が開くという気づきでしょう。この自分の存在が明らかになるという目覚め・気づきです。
質問者からのお礼
「日本人の中でも結構恵まれている」これは自分よりもっと下がいるんだから安心しろと言う意味に感じます。結局は周りと比べています。「よそ見ばかりしてないでしっかり前を向いて歩け」自分の人生をどうすれば自分で幸せだと感じることができるか必死になって見つめているからこそ、努力や頑張りが報われず苦しいと言っているのに…
相談の意図、相手の気持ちの捉え方、全てが大幅にそれています。どれもこれも友達に相談するより一般的なありきたりな回答で、がっかりしました。心理学者のセミナーに参加したときのほうがよっぽどためになることをたくさん得られたのに。お坊さんはしょせん人間でその程度、苦しみから救われるアドバイスがもらえるかと思い期待した私がバカでした。余計虚しくなりました。
吉武文法さま
回答ありがとうございます。大学時代、今の自分から見れば、幸せだと思えるけど、その頃の私は毎日幸せだとは思っていなかったと思います。幸せは諸行無常、ハッとしました。その時幸せになれたと思えても、永遠に変わらず続く幸せなどないのですね。私は常に◯◯であるべきとか、◯◯でなければならないという考えに縛られていました。正社員ならなければならない、社会人なら経済的に自立すべき、30歳なら結婚して子供を産まなければならない…それらは全て他人から見た評価や価値観で自分自身の幸せをジャッジし、周りの環境と自分の環境を比較して不幸だと思っていることに気づかされました。ありのままの自分を受け止め、これが私なんだと私が存在を認め、煩悩や執着に振り回されて苦しむ状態から抜け出せれば、幸せを感じられるのかと思いました。
ただ…今はそれができず、分かってはいるのに過去に味わった幸せを失ってしまった悲しさと、上手くいかないことで未来を悲観し、自分で自分のことを信じられず、認められないのです。それも私だと、良い意味であきらめ、頷くことができれば、この苦しみから抜け出せるのかなと思いました。
正社員になれたら幸せなのか?セフレ扱いした好きな人が私を1番にしてくれたら幸せなのか?きっと叶ったとしても、今の私ではきっと幸せだと思えないのかなと思いました。
分かりやすいお言葉、本当にありがとうございました。