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諸行無常について

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①3ヶ月前に奥歯が三本グラグラして近い将来三本とも抜けると言われショック。これは因果応報か。
②一週間前に生まれてはじめてアレルギー性鼻炎になって辛かったが、それまで分からなかった花粉症の方の気持ちが分かって良かった気がする。
③何日か前にうつ病の薬が変わって上手く効いてくれて人生がハッピー?になった。
④先週の(土)に股関節の痛みで発育不全がわかり、生涯続けたかったマラソンはドクターストップがかかった。将来は人工関節になると言われショック。でも、人工関節の知り合いの痛み苦しみが少しだけ分かった気がする。
⑤戻りたかった福祉の仕事に戻れた。

と、ここのところ色々体の老いや病気がドドッときたり、逆に悪かったところが良くなったりしてます。良いこと悪いことがイッパイ起きました。

それを冷静に見れるようになったのはハスノハの僧侶の皆様や周りの方々のお陰です。ありがとうございます。喜びにも悲しみにも、老いの不安にも囚われず今を大事に生きようと思えています。

諸行無常とは、ありとあらゆることは変わっていくものだから、未来にも過去にも囚われず今この瞬間を大事に生きることだと思ったんですけど、ありですか?

なんか訳のわからない書き方になってすみません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ゆく川の流れは絶えずして,しかももとの水にあらず.

 諸行無常とは,「ありとあらゆる一切の事物や現象が絶えず変わり続けていること」を示します.
 
 我々は物事をみるとき,それがずっと変わらずに存在し続けている,とどこかで思ってしまっています.自分の大切なものなら尚更です.自分の大切にしているものが壊れたり無くなったりしたら悲しくなりますね.それは,ずっと自分のものとして変わらずにあり続けて欲しいと思っているからです.物だけでなく人に対しても同じように考えています.自分は自分,変わらない自分がどこかにあると思っています.そして,自分がどこかに無くなってしまう,つまり死んでしまうことが嫌なわけです.

 しかし,我々が「変わらずにある」と思っているものは,例外なく全てが変化し,無くなってしまいます.それを端的に言い表した言葉が「諸行無常」です.そして,一切の事物・現象は「諸行無常」であるのだから,変わらずに存在し続けていると思い込む間違った考えを捨てましょう,ということになります.

 諸行無常という考えは日本でも古くからあります.それを非常に上手く表現した文を最後に載せておきたいと思います.

 ゆく川の流れは絶えずして,しかももとの水にあらず.淀みに浮かぶうたかたは,かつ消えかつ結びて,久しくとどまりたるためしなし.(『方丈記』より.)

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拝読させて頂きました。あなたがそのように移り変わりを感じながら心が広がり豊かになっていかれることは本当に素晴らしいことかと思います。
年をとって様々な苦しみや経験を積んでいかれながら人の痛みがわかるようになることは人として学び成長なさっていらっしゃる証かと思います。

これからもあなたがあなた自身の人生を通して円満に成長なさっていかれて充実した日々を皆さんと送っていかれますようにと心よりお祈り申し上げます。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...

質問者からのお礼

今あるものはいつかは無くなる、いまある体はいつかは老いて無くなる、人の気持ちも変わっていく。それを受け入れて生きていきたいと思います。
ありがとうございました。

Azuma様
お返事ありがとうございます。いつか命の終わりが来るときまで人間としての成長が出来たらなと思います。ありがとうございました。

「諸行無常」問答一覧

「無常」について理解出来た気がするが…

初めて質問させて頂きます。長文になってしまい申し訳ございませんが、宜しくお願いします。 私は歴史が好きなのですが、とりわけ源平合戦が好きです。二つの氏族が覇権をかけて争う中での栄枯盛衰や、その過程での日本中を巻き込んだ争乱の数々。これ程までに歴史のダイナミズムを感じられる出来事は中々無いと思ったからです。 なので、先日神戸に行った際、一ノ谷の戦いの戦跡を巡ろうと思い立って観光し、道中、是非見たいと思っていた須磨寺に立ち寄りました。須磨寺には、宝物として平敦盛の武具や青葉の笛が置かれていることが有名ですが、これらを見た時、私は非常に大きな衝撃を受けました。 勿論、平家物語の「敦盛最期」は作中屈指の有名な悲話として、私も知ってはいました。しかし、それはあくまで「物語」としての認知に過ぎなかったのです。知識としては現実に起きた事だと知りつつも、現代とはあまりにもかけ離れた武士たちの世界観や壮絶な出来事の数々に、実感としては完全に物語上での出来事でした。 ですが、敦盛の遺品と、敦盛を殺した苦悩から出家した熊谷直実が、彼を弔うために書いた「南無阿弥陀仏」の掛け軸は、実際に寺にあったのです。 こうして、到底現実の出来事だと実感出来なかった源平合戦を、現実の出来事として否応なく突きつけられ、私は恐ろしくなりました。平家物語に登場し、様々な運命を辿った武将たちの人生もまた現実の物だと、同時に思い知らされたからです。 都での優雅な生活を捨て、戦いに身を投じる事を憐れみつつ奮戦して亡くなった者。戦いに勝利しつつも、哀れにも反逆者となり亡くなった者。戦乱の中で志半ばに自害した者。そして、熊谷直実のように出家した者。 また、源平合戦だけでなく、数々の戦争や動乱に人生を左右された無数の人々…。 歴史という大きな流れの中で翻弄されていく人々が現実に居たのだと、心から実感出来た時、歴史の中での個人の無力さと儚さに恐怖を感じ、平家物語が言わんとしている「無常」を、心の底から理解出来たような気がしました。 果たして、無常について理解出来たようなこの感覚は、悟りに近いような物なのでしょうか? 仏門に入ってもいない者が、軽々しく悟りなどと申し上げるのは気が引けるのですが、世の中に対する一つの見方が生まれたような感覚が不思議だったため、質問させて頂きました。

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諸行無常について教えてくださいませ。

いつもお世話になっております。 私の母方の祖父、伯父は菩提寺の総代を務めさせて頂いておりました。 私が小学校中学年の時に、祖父が亡くなりました。祖父が親しくおつきあいさせて頂いていた先代のご住職様は既に亡くなっていらっしゃいました。次の代のご住職はご本山からやって来た地域にまだそんなに根差しておられない方でした。 祖父の葬儀の時に、その新しいご住職は手を合わせてはいるのですが、カセットテープのボタンを押し、お経のテープを流したのです。 その場にいた大人達は驚き、小声で「テープだ。」と囁いていました。親族は怒っていました。私も子どもながらに「お坊さんなのに何でお経を読まないの?」と不思議でした。 法話もありませんでした。 祖父は生前、先代のご住職とは親しくてご住職を交えて祖父の家で一緒に食卓を囲んだりしておりました。古い木造のお寺なのでもし何かあった時にと山から木を切り出してきてすぐに使える状態にしておいたり、祖父は総代という事もあり、何かと菩提寺の為に肉体労働で尽くしておりました。祖母もご飯を作る時には「典座しなくちゃ」等とお坊様の言葉を真似ているほどでした。 祖父はご本山から感謝状を頂きました。 そして祖父が亡くなった時にはテープのお経でした。私は今までずっと喉につかえた小骨のように、その事が気になっておりました。 先代のお坊様と家族で食べた楽しい食卓の思いでがテープのお経のせいで黒く塗りつぶされてしまった様な気がしていたのです。 でも最近、諸行無常なのかな。と思うようになりました。 私の諸行無常の理解は間違っていますか? 教えてくださいませ。

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