人のために生きるのは悪いことですか
わたしは昔から自分のことが嫌いでした。
自分に厳しくしすぎたのか、とうとう鬱になりました。その一年後、自殺未遂をして警察に保護されました。
親が泣きながら迎えにきてくれましたが、自分でも驚くほどわたしはなんとも思えませんでした。それだけ生きることに絶望していました。
でも、付き合っているYさんにお願いだから死なないで、僕のために生きていてと言われたとき、ああ生きなきゃいけないなと思いました。
それからわたしの生きる意味は、Yさんです。それしかないんです。
よく、自分のために生きなさい、と本でもネットでも言われています。
人のために生きるのはやめなさいと言う言葉を何度も目にしました。
でも、生きる理由が見つからない、と調べると、家族のため、恋人のため、友人のためでいいから生きなさい、と言われます。
死にたいと言ったら誰かのために生きろと言われ、誰かのために生きると言ったら自分のために生きろと言われる、結局自分のために生きること以外は悪いことなんでしょうか。
わたしは理由もわからないのに自分が嫌いで自分のための生きる意味がすぐ見つかるとは到底思えません。
また、生きる意味がYさんだからといって執着したり重荷をかけたりしている訳ではありません。
それでも人のために生きてはいけないんでしょうか。
自分のために生きられない人は生きる価値がないんでしょうか。
分からないんです。苦しいです。
助けてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いいんでない?
左手の掌に自分のためをのせます。右手の掌に他者にためを乗せます。んで、両手をくっ付けます。自分のためと人のためが1つになります。これが合掌です。これが仏道です。救いのある所です。
最近の大人たちは脊髄反射でとりあえずアレもダメ、コレもダメと言うからいけませんな。右を向いたら左を見てない!と言い、じゃあ…と左を見てたら右を見てない!と言い、それなら…と左右交互に見てたら中途半端をするな!と言う。
そうやってダメだダメだダメだと言っていても誰も救われない。ただ追い詰めてしまうだけ。そういう道理の分からない大人が多くてかないません。
ああいうのは気にし過ぎない方がイイですよ。掲示板やコメント欄の煽りのごとくスルーしましょう。
あなたの生きる理由がYさんなら、Yさんのために生きればいいんです。ウチの宗派の道元禅師も「自分のためと人のためを1つにするんだけど、人のためを先にしないとやりようがない」と言っています。Yさんのためでイイんです。
ただ、Yさんのために生きるのなら、あなたが幸せになることが、Yさんのためになる。だから自分が幸せになることを拒絶しない。そこも忘れないで欲しいです。
あと、人のためがYさんからちょっとづつ広がっていくとイイですね。
私は大体いつも「人のため」と書きません。「他者のため」と書きます。相手は人だけとは限らないからです。
生命は(吉野弘氏)
なつ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
悪くはないです。それでも良いのですが、あとは、やはりこれから先においてのバランス(他のためと、自のためとのバランス)の問題となって参りますかね。。
仏教で言うところでは、「自利利他」の円満成就が求められるものとなります。
まあ、今はまだ無理に答えを出そうとはされずに。あまり思い詰められずに。
是非、下記の詩の意味を、これから折々にも読み返しつつ、その時その時の感じを大切になさられてみて下さいませ。
生命は(吉野弘氏)
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
私も
あるとき
誰かのための虻だったろう
あなたも
あるとき
私のための風だったかもしれない
川口英俊 合掌
あなたが幸せなら
あなたが幸せなら、自分のためだろうとYさんのためだろうと、良いと思います。
もしも、Yさんのために生きることが辛すぎて、あなた自身が不幸になっている場合は、
あなた自身のために生きるよう変更するのも良いと思います。
人生には、はっきりした答えはないのかも。
とりあえず、欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩がストレスの原因になることは、おぼえておいてください。
「私は○○のために生きるんだ!」とこだわるのは、プライドの煩悩と、路線変更をめんどくさがる怠けの煩悩かもしれません。
柔軟にしなやかに生きましょう。