父が亡くなって数日 自分は酷い人間
父が亡くなって一週間が経ちました。
亡くなってまだ数日しか経っていないのに平然と日常生活を送っている自分がいます。父のことは生前家族に多大な迷惑をかけたことから正直嫌いでしたが自分を育ててくれた実の父であることに変わりはなく、亡くなってしまったことにはもう会えないんだと思い、悲しみを感じ亡くなった日やお葬式の時は涙が止まりませんでした。
暫く悲しみを感じる日々を送るのだと思っていたのですが、お葬式が終わってから平然と普通な自分がいます。
遺影を見ると父を思い出して胸がギュッとなるような悲しみを感じることもありますが、その感情は殆ど感じることが少ないことの方が多いです。実の父が亡くなって数日しか経っていないのにこんなに平然と楽しい時(テレビを見たり本を読んだり友達と話したり)には笑ったりしている自分は冷酷で酷い人間なのでしょうか。
父が亡くなる数日前から前の仕事を辞めて新しい仕事を探している最中でしたのでとりあえず早く就活は再開しないとと思い専念しようとしているのですが、そんなことを最近ずっと考えてしまい就活にも集中ができずとても苦しくてたまりません。
私は酷い最低な人間なのでしょうか、、、
書きたいことがまとまらず乱雑で読みにくい文章になってしまい誠に申し訳ありません。ですが本当に悩んでいます。どなたかお言葉をもらえると助かります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自分をいつわろうとしない
まずはお悔やみ申し上げます。
お父様がお亡くなりになり、数日しかたたないのに・・・
もうその事がなかったかのように、楽しんでいる自分に違和感を感じておられますね。
しかし、それがひろさんのありのままの姿です。
それを否定しているから、ひろさんの苦が湧き出てくるのです。
親の死を、いつまでも悲しまなければいけないのか?
悲しまなければ悪なのか。
いかがなものでしょうか。
お父様は、多大な迷惑をかけられたとの事ですが、恐らくひろさんとの関わりは良くなかったのでしょう。
そこに罪悪感を感じておられませんか?
自分を育ててくれた恩があるのに・・・
もう存在しなかったかのような生活を送っている。
なんで?
もっと悲しくならなければならないのに。
普通、笑えないはずなのに。
もういいのですよ。
いつわりの自分を作ろうとするのは止めましょう。
そんなこと出来るはずがないのに、変えようとするから心身ともに不調になるのです。
自然に生活している自分を許してあげて下さい。
父の恩に報いたいなら、その恩をすっかり捨てて下さい。
捨てて笑って、日々の生活を送るのです。
父に報いるため。
泣き暮らす娘を、上の世界から見て、お父さんは喜びません。
決して。
そんなことなら、もう俺に恩なんか感じなくたっていい。
そう言って、お父さんも嘆き悲しみます。
あなたの笑顔がお父さんを成仏の道へ導くのです。
また、お仕事が決まれば、お父さんに報告してあげて下さい。
自然に生きましょう。
今の感情を受け止めればいいのです。
お父様のご冥福をお祈りいたします。
亡くなれて間もないのに、平然とした自分がいる。とのことですが、だからと言って冷淡だと思うのは決めつけです。
実際に、ご葬儀の時は、悲しまれ涙されたのですから、冷淡でもなんでもありません。ならば、いつまで悲しんでいなければならないのかということになります。
今は、自分の思うままの感情に任せればいいと思います。
やがて、また違った形でお父様のことを思い、笑ったり、悲しんだり、同情したり、許したり、とする時があると思いますので、今は、今の感情のままでいい思いますよ。
そして就活に励んでください。
質問者からのお礼
海老原学善様、鈴木海祥様、御回答ありがとうございました。
お二人のお言葉とても心に染み渡り、読んでいて涙が出ました。
すぐには難しいですが、これからは今の自分自身・感情をいつわらず少しずつ受け止め、就活も励み、父にいい報告ができるよう頑張っていこうと思います。
気持ちが少し和らぎました、本当にありがとうございました。