生きるとは?
いつもお世話になっております。
今週も、新しい経験ができ、新たな自分を見つけることができ、ありがたいなあと感じています。その中で、「なぜ生きるのか」についてある考えに至りました。
生きている理由は、ご先祖様からの課題を解決するためだと考えます。これは、兄弟間でも異なるのではないかと思います。課題解決のために、身体と能力を与えられたと考えます。解決方法は、行動実験してみて、五感で自分がどう感じるかということを実証することだと思います。自分の内面を見つめることだと思います。
例えば、坐禅、書道、神社参拝、寺院参拝、コーラス参加、仕事をする、家事をする、テニスをする、など日常生活すべてを行動実験にすることができるのではないかと思います。この行動実験が修行なのかと思います。
だから、いろいろなことをやってみるというのは大事なことで、これが自分に与えられた課題を解決していく近道だと思います。
とはいっても、課題が何なのかと認識したり、五感を使いこなしたりというのは、自分のことなのに難しいですよね。これらがよくわからないから、苦しむのかなと思います。
生きるとはどのように考えますか?
我が強い。保身のために、人を妬んだり、羨んだり、言い訳をしたりする。気持ちに余裕がなくなると、怒ってしまう。愚痴を言ってしまう。過去に学んだことに執着してしまう。未来に対して余計な不安がある。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そうですねぇ。。。ゆっくりと、顔を見ながら、話し込みたい質問ですねぇ。
なんのために。なぜ。生きるのか。
みんな違っていいだろうし。
答えなんて出さなくてもいいだろうし。
生きる意味は、きっと、変わっていくでしょう。
そうしながら、私の いのち を、問い続けていきましょう。
あなたは、あなたで、もぅ見えているのではないですか〜。
質問者からのお礼
〉中田三恵 様
ご回答、ありがとうございます。
機会があれば、ぜひお会いして、「なぜ生きるのか?」ということについて議論したいです。
私は、私なりに見つかりそうですが、何かすっきりしない気持ちもあります。それが、何なのかが、まだはっきりしていません。
ただ、人生の次のステージは、不安や悩みを抱えている人たちが自己解決図れるよう手助けすることかなと思っています。とりあえず、今は、私自身を助けながら、学問的な裏付けができるよう、勉強したいと思っているのですが、どの方面からアプローチしていくか考えているところです。
現代、ひとつの価値観に縛られてしまう傾向にあり、私もその傾向に未だあります。その自己の価値観の執着が苦しめているのかなと思います。また、未だに人の目を気にしてしまいます。人と協力し、新たなものを創造するのは大切ですが、他人の評価に依存するのは良くないのかなと思いつつ、依存してしまう自分がいます。たまに、私は、何がしたいんだろうと思うときがあります。
生きるって、難しいですね。
〉柳原貫道 様
ご回答、ありがとうございます。まさに、私が知りたかったことにお答えいただき、感謝いたします。
「生きる事の意味に対する問いは最重要であり、その問いが人生を濃密にするのだ」というお言葉、有難く思います。
他の生き物は、置かれたところで淡々と生きています。種を維持するために、他の種を犠牲にすることもありますが、程度を越えることはありません。人間のように欲深くはありません。
人間は、知能を持ったゆえに、その知能と能力の使い方を考える必要があるのだと思います。その考えることこそが、生きる意味を問い、追い求めることなのかなと、柳原様のご回答を拝読させていただいて思いました。
人それぞれ、人生の課題は違うと思いますが、その時の人生の課題に向き合い、自分自身ができることをやっていきたいと思います。