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倒産から挽回できますか?

回答数回答 3
有り難し有り難し 34

2年前、父がやっていた家業がたちゆかなくなりました。
接客業で、父が社長でしたがほとんど表にでることはなく、40代の兄が仕切っていました。
1年前父が亡くなり、とうとう仕入もできなくなりお店をあけることができなくなりました。
そのお店はプリペイドカードを発行していて、たくさんのお客さんに前払いでお金を支払ってもらっていました。
閉まったままの店頭に張り紙をして、プリペイドカードの返金をしました。
お金がなかったので、きちんと法的に閉店の手続きもできず、またおおっぴらに返金を広告することもできませんでしたが、
請求分だけでもとなんとかお金をかき集め返してそのうち請求も来なくなりました。

そんな折、兄もようやく就職が決まり、前向きに頑張っているようで応援していました。
でも仕事をすぐに辞めないといけなくなりました。
今度の就職も接客業でした。
そのお店に来たお客さんのひとりが、以前のお店にも来てくれていたらしく、社長に提言したそうです。
「勝手に閉店した店の者を雇うべきではない」と言ったそうです。
社長から信用商売だから辞めてほしいと言われたそうです。

その話を聞いて、
1年前なんとかお金を返せるよう頑張ったのはなんだったんだろう・・・?と思いました。
会社が駄目になったとき、本当ならきちんと弁護士さんに手続きをとってもらい、返金があるなら大々的に告知をしてお知らせするのが一番だとは思います。
でもできませんでした。
それだけのお金があるなら仕入ができました。
そんななかで、私たち家族にできる最大の方法で誠実に対応してきたつもりでした。

だからなおさら兄になんと言っていいかわかりません。
社長に言ったそのお客さんを恨むこともできません。
兄が現状に打克てるような言葉はないでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

挽回することは考えない。道は無限にある。

サービス業を天職と信じているなら、それを貫くのは一つの生き方です。リターンマッチに挑む心意気も大事です。

 でも、倒産・閉店・債務不履行という条件の中で、挽回を図るのは条件的に厳しすぎるのではないかと思います。むしろ、挽回することは考えず、「自分の道を見直し」「出直しを図る」機会と考えても良いと思います。違う職業、違った道を考える機会としても良いと思います。

 昔、松下幸之助さんの『道は無限にある』という本を読んだことがあります。細部までは覚えていませんが、本のタイトルと内容に感心した記憶があります。「さすが経営の神様だなあ。」と思いました。お兄さんにかけてあげるとしたら、この言葉が良いと思います。

 つらい経験、苦しい経験だったと思います。でも、その経験を自分の未来への糧に変えていく。そういう生き方、そういう姿勢を持っていただくことを念じております。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努めております。決して容易いことでは有りませんが、一期一会の気持ちで相談に、葬儀法事に励みたいと思います。    最初法学部部にで学び、4年間ほど公務員をしていました。(税務署勤務)その当時の学びと経験を終活相談に活かしたいと思います。                                              昭和63年5月に住職となってから、30年が過ぎてしまいました。仏教学・禅学もそこそこ真面目に学んだつもりですが、宗教学・宗教民俗学に力を入れて学びました。そういう分野については丁寧な回答が出来るかも。
一人一人の気持ちに寄り添い、傾聴に徹して、心をほぐしてあげられるよう、努めたいと思います。 それと同時に、完璧に出来るとは限りませんが、其の人が歩むべき方向を一緒に考えてあげたり、次の一歩を踏み出せるよう背中をおしてあげられるよう、努めたいと思っております。

小さな変化を見逃さないで

お兄様は自分の代でお店をしまうことになり大きな責任を感じているはずです。
急に明るくなったら要注意。目を離さないで。
今はどんなに優しい言葉もお兄様には責められているとしか受け取れません。
言葉、態度だけでは判断を誤る可能性がありますから表に出たことの真意を探るよう心がけてください。
今一番大切な事は普段通りに接しそばを離れないことだと思います。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

そのときできる最大限をしたのならそれでいい。

その時その時の最大限をした結果、そこに思いが伝わらないひとがいても、それはそれ。きっと思いが伝わったという人もいたはずです。
確かに思ったようにいかない、足を引っ張られ、被害を受けたという感情もあるのでしょうが、それに縛られていたら先に進めません。

結果は結果として受け止め、今できることを最大限にするしかないでしょう。常にこの連続なのではないでしょうか。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

年末のお忙しいなかご回答本当にありがとうございます。
私の至らない問いに真摯に応えてくださったことで元気をいただけました。

吉田俊英さま
『道は無限にある』本当にその通りだと思います。
現在は選択肢が無限にある状態なのだと、
前向きに思ってもらえるように兄の力になりたいと思います。

けんしょうさま
同居もしておらず24時間見守ることは難しいのですが、
それぐらい彼の心が傷ついてると思い大切に見守りたいと思います。
優しい言葉をかけずにただそばにいたいと思います。

邦元さま
『そのときできる最大限をしたのならそれでいい。』
ありがとうございます。その言葉に救われました。
あの当時私も少なからずもっとできることがあったのでは・・・と後悔がありました。
だからあれから繋がる現在のことで、兄が傷つきもがいていてもどうしてあげたらいいか動けませんでした。
出来る限りのことをしてきたから前を向こう・・・って、そういう気持ちで兄と接したいと思います。感謝いたします。

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