生き抜くには
お世話になっております。
最近、知り合いの方のご家族が、病気の為に将来を悲観して自殺しました。
私も、耳や目や、他の病気について、将来を悲観しており、自殺を考えたりするので他人事ではありません。
病気を持っているということは、病気により苦しむ覚悟をしなければなりません。
稼げなくなるし、お金がないから、生活に潤いがなくなる。孤独死。
苦しんでじわじわ死ぬより一思いに楽になりたい。
人間は精神が死ねば死んでいるのと同じです。
今の世はハンデある人には生きづらいです。
知り合いの方にはどうして自殺するくらい悩んでる御内を気遣えなかったのかといかりがわきます。
私の家族も私が自殺したいくらい悩んでいるのが、話しても分からないので。
生き抜くにはどんな心構えが必要なんでしょう?
生きたくても稼げなければ苦しいだけですよね。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
日本のヘレンケラー
日本のヘレン・ケラーと称される中村久子という人をご存知ですか?
彼女は3才の頃に「特発性脱疽」という病気で両手両足を肘、膝から切断されています。両手両足のない生活というだけで想像を絶する苦労があったのは言うまでもありませんが、偏見に晒されたり、見世物小屋へ売られたり、夫が早死したり、、、聞いているだけでこちらがうんざりしてくるような、それはそれは大変なご苦労をされてきました。ところが、
さわやかな 秋の朝
「タオル 取ってちょうだい」
「おーい」と答える
良人(おっと)がある
「ハーイ」という
娘がおる
歯をみがく 義歯の取り外し
かおを洗う
短いけれど 指のない
まるい つよい手が
何でもしてくれる
断端に骨のない やわらかい腕もある
何でもしてくれる 短い手もある
ある ある ある
みんなある
さわやかな 秋の朝
と、こんな詩を残されました。あなたはどう思われますか?
別に病気や障がいがなくいかにも健康な体に恵まれても、他人が羨むほどのありあまる財産を所有していたとしても、ない、ない、ない、と不足を数えればキリがなく、結論は、”やっぱりない…”となってしまうでしょう。逆に、ある、ある、あると満足しているものを数えれば、結論として ”おおっ意外にあったわ!!”と驚きを伴って気づくものです。
無いものばかりを数えるな、できない事ばかりを勘定するな。
すでに与えられているものにしっかり目を向けて、できる事を考えよう。
あの中村久子さんが、今とは比較にならないほど福祉の充実がなく、障がい者への偏見も強かった時代を立派に生き抜いて「人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望ない」とおっしゃっているんだ。
あなたも、きっと大丈夫だよ。
「生き抜く」には、適度な「いきぬき」を
みき様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「生き抜く」には、やはり、適度な「いきぬき」が必要となります。
時に心も身体も緊張をほぐすことが大切となります。
また、世の中は捨てたものではなく、ハンデを抱えておられる方々のことを心配して、少しでもハンデが楽になりますようにと、取り組む人々も多くございます。
個人的なことですが、かつての拙生もそうでした・・
しかし、また、少しでもできることで取り組んでいかなければと、あるきっかけをもとに思い直させて頂きました。
「お地蔵さんになったお医者さん」(故・中新井邦夫医師を思う)
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/1e552c1bf8819edd28020c5110b0af1e
支えになって頂ける方々も必ずどこかにいることを思って頂きまして、共に幸せへと向けて取り組んで参りましょう。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
お言葉ありがとうございます。
感じ方や考え方次第って事でしょうか。
私はどうしてもネガティブな思考になるので、辛いです。