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死について

回答数回答 2
有り難し有り難し 12

おはようございます(⁎⁍̴̆Ɛ⁍̴̆⁎)
私くしも 病気がちだし 毎日仕事が苦しいし
考えたら お金はいるけれど 限られた命の中で
そこまで 仕事仕事で生きていくのが 正直辛い

特に この世に執着が無かったんです。子供は
って言うと 私に特に求めるものはなくて

私の姉や 私の母 父に求めているみたいなので
いつ 命が尽きても 悔いはないそう思ってましたら

ある日 脇あたりに シコリがあるのを見つけて
一人 癌だと思って 泣くわ ショックだわ

一気に 生きたいと思う心が 湧きました

普段 命の先がみえないから 死にたいと思うけど
いざ もしかしたら って事があったら
人って やっぱり生きたくなるものです。

慌てて病院へ いったら リンパ節が腫れてるだけだと
言われ ホッとしました。ただ 寿命がきたら

受け入れるうつわを 持ってなきゃなとも 思いました。 それをふまえて 病に苦しむ方の心も
学べた気がします。とてもではないけど

生きた心地がしなかったし 記憶も ボーっと ひたすら 亡くなったらどうしよう 子供は とか考えました。

なので 私自身も 少しでも ご病気に方の苦しみに
寄り添えます様 いま剃髪をし 生きてます。

私も 皆様に寄り添いますので 皆様のご病気が一日も早く治りますよう。
病気や 老い 孤独 、、、、
生きてる限り 悩みは 尽きません
お坊様方は 仏様と向き合い どう この世の闇を
照らされましょうか


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

これからも

拝読させて頂きました。あなたのそのようなお気持ちや気づきがあなたの心を照らし周りの人たちを大切になさるお気持ちとなって周りの人たちを照らすことにつながっていくのではないでしょうか。

私達は決して独りではありませんし、様々なつながりの中で共にお互いを思いやり助け合いながら生きております。そしてその天寿を全うした後でもずっとその大切なご縁は続いていくのですからね。

私達は神様や仏様やご先祖様に守られて生きております。

どうかこれからもあなた自身を先ずは大切になさり、そして皆さんとのご縁を大切になさりながら心から豊かに皆さんと幸せに仲良く生き抜いて下さいね。

あなたはこれからもずっと皆さんと共にあるのですから。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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無明の闇路を照らせますように

みやこ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

迷い苦しみは、無明に原因があると釈尊は看破なさられました。

無明とは、まさに真理の光が見えずに暗闇の中にいて、私たちはもがき苦しんでいるのであります。

この無明の闇路を彷徨う私たちに悟りへと向けた灯火をともされましたのが、釈尊でございます。

僧侶の役割は、この灯火を消さないように、もちろん、一人一人の灯火はまだまだ頼りなく小さなものではありますが、一人でも多く、その灯火を皆さまへとお分けできて、それぞれの無明の闇路を、悟りへと向けて照らせていけますように調えて参れましたらと存じております。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

こんばんは(⁎⁍̴̆Ɛ⁍̴̆⁎)
すいません 遅くなりました。仕事でバタバタして
やっと ゆっくり 、、、 いつも 優しいお言葉有り難く
受け止めさせて 頂きます。何度も読み返し 深く考えてみます。 私は、不幸な中で 仏縁に出会えた事で
救われています。どうか 色々な方に
手を差し伸べてあげて くださいますよう

確かに
神様 仏様 が皆様を見守り 手を差し伸べて下さってると 私くしも思います。どうか 神様仏様の手を
しっかり受け 取ってくださいますよう

🐉🐉🐉🐉🐉🐉🐉🐉

川口様 おはようございます。
(*^^*) お一人お一人のお坊様方の灯は 小さいとは
思いません。お心温まる位の 灯だと思いますよ。

なので、人がこちらに集まって お坊様方のお言葉を
頂きたくなるんだと 思います。普段お寺様に出向いて
川口様にご相談しにいくと きっと 数万お布施しないと いけないような 素晴らしいお坊様に

気軽に お言葉を頂いて この場所の 意味 すばらしさを 実感しております。
有難い言葉、、、心に受け止めさせて頂きます
お忙しい 中ありがとうございます。
🐍

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 2
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病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 14
回答数回答 3

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ