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元彼への嫉妬で、自分の中で苦しくなります。

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相談させてください。
年上の元彼と付き合っていた期間は半年くらいでしたが、別れても元彼とはズルズルと関係がしばらく続いていました。私は復縁を願っていましたが、元彼には都合良く使われていただけでした。
そんな元彼は、私との関係が終わるかの瀬戸際で、数年前に付き合っていた職場の元カノと復縁しました。一度は私にも結婚前提でと言っていたにも関わらず、アッサリその話はなくなり、今の彼女と半年後には結婚を考えていると…。
自分は踏み台にされたような、このままもし本当に結婚したら、私は気持ちのやり場がないような…急にふと思い出して悲しくなり、嫉妬してみたり、イライラしてみたり…。救われたい気持ちです。
考え方をアドバイスお願いします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

誰かにお布施なさいマセ(-.-)

その素敵な彼とやらを誰かに差し上げればよいのです。
もともとあなたのものでは無かったのですから、花束添えて差し上げたらよろしい。
実際に花束はイランですが、そういう気持で送り出してあげればいいのです。
あなたがあなたのところに留めておくべきことではないからです。
嫉妬の根源には所有欲、独占欲があります。
自分の物としている心のひきよせがあります。
全てのものは、天地の物。
誰のものでもありません。
あなたにも既にその人でな無限無量の男性が恵まれているのですが、前のお古にばかり気をとられて他のステキな男性たちが見えなくなっているのです。
持ってたって苦しいものならあなたを不幸にしている訳ですから、手放すべきです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

つまらない男

その男はつまらない男。
付き合っても誰も得しない。
誰と結婚しようが誰も幸せにはならない。
周りにいて何の得にもならない。
元カノに疫病神を引き取ってもらったと思うことです。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

見極める事が大切。

利用された、後悔している、ムカつく、とネガティヴに捉えれば、あなたが苦しむだけ、相手の男性が幸せであればさらにムカつく!となるだけ。

プラス思考で、あなたは、今回は見る目がなかったかもしれないが、今回学んだ事を次回に生かそう。次に出会った人はよく見極めよう。学ばせていただきありがとう。と仏の心でいれば、気持ちも切り替わります。あなたが仏となり、全てを受け入れる大きな人になればいいのです。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

愛するとは?

こまちさん、はじめまして。

元彼と復縁を希望していたのに、うまくいかなかったのですね。

私は、恋愛はギブアンドテイクであり、愛はギブアンドギブだと思います。
ギブアンドギブを仏教では布施と言います。

こまちさんは、元彼を取られてしまったことにイライラしたり、嫉妬したりしていますね。
それは恋愛ですか?それとも愛ですか?

私は布施の人生をお勧めします。

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おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の月例法話の他に、地域の出張法話の依頼もあります。 出張法話で寺のある地域の特産品「梨」を紹介するので、「梨のおじゅっさん」として有名になりました。 ホームページ http://houwa-kanonji.com/

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