信心とは
信心しても 自分に徳が得られないって 理不尽ですが
確かに 信心とは 誰かの為に努力し 誰かを幸せに
するものなのかもしれませんね
ただ本当に一生懸命 お寺様でご奉仕されていて
足が痛そうなので どうか 皆様が生きてる限り健康で 普通に生活が
おくれますよう 私くしの父も 手足が痺れると
整形に通ってますが 命があっても
身体が辛いなら 皆んな 毎日が苦しいように
見えるので 私くしが 皆様の健康の為に
お寺様で 信心させていただきますので
皆様が身体健全 無病息災 で 延命長寿で
いられますことを 望みます。
私くしが信心する事によって 周りの方が
高徳を得られます様。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【追記】如来よりたまわりたる信心(歎異抄6章や後序参照)
信心による「徳」と言うとどうしても「得」をイメージしてしまいますよね。おっしゃるように身体健全・無病息災・延命長寿など私にとって「得」であること。
しかし仏教においては苦からの根本的な解脱を目標としますから、それらはけして根本的な救いでも「徳」でもありません。どんなに健康で長生きしようと死なない人はいませんからね。
仏教が目的とするところはこちらの問いの諸師の回答が大変参考になります↓↓
問い「仏教でいう幸せとは何ですか?」
https://hasunoha.jp/questions/26991
信心によってある特定の「状態」になっても「状態」はやがて移り変わりますからそれでは不安も消えませんし、執着もなくなりません。
信心とは私が私の「存在」に満足することではないでしょうか。そしてその信心は私の心ではないと浄土真宗では説かれます。
どこまでいっても私は私に不満ばかりだからです。ない物ねだりで満足をしりません。その私が修行をして満足できるような心持ちになれるかということそんなこともありません。やはり死ぬまで不満タラタラなのです。
その私が私の「存在」に満足するのは私の心では不可能なのです。私を超えたところから回向(えこう)されるのが浄土真宗における信心です。
私の心で起こす信心は私の都合です。それは仏様でもなく、仏様の教えでもなく、私の都合を仏様に投げかけたものです。
こっちの仏は健康に、あっちの仏は学問に、そっちの仏は縁きりに、あそこの神は効くらしいからそこも…なんていうのは信じている対象は神でも仏でもなく正に私の都合です。
だからこそ、浄土真宗で言う信心とは私を超えたところから私の方に振り向けていただき、それを受け取らせていただきましたというものです。
病気や貧困や愛別離苦は私にとってはやはり辛いです。そんな時に私の心では私の存在に満足などできません。
しかし私を超えたところからいただく信心は常に私に「なぜ不満なのか?」「一体何に苦しんでいるのか」と問いを起してくれます。
その時私は私の都合をふり回していただけの姿に気づき、我が身の至らなさとそれをも包む仏様のあたたかさに手も合わさり、お念仏もこぼれるのではないでしょうか。
南無阿弥陀仏
【追記】
例にあげたような縁切りなどは仏教にあるのではなく、それを求める心が人間にあるのです。
皆様の幸せを祈ることは良いことであります。
これからもその気持ちを大切にしてくださいね。
さて、信心つまり信じる心でありますが、お大師様を信じるという事は、お大師様の教えを信じるという事であり、さらには、お大師様の教えを実践するということであります。
祈るという事も実践ではありますが、実践する事はそれだけではありませんね。
皆様に笑顔で接し、優しい言葉で話したりすることも実践ですね。
そのような実践が功徳になるのですね。
皆様とあなた自身も幸せでありますように。
質問者からのお礼
三宅様 温かい言葉を頂き有難うございます。
お大師様と共に 生きて行き 優しい心を忘れずに
いたいと思います。 有難うございます。
不満だらけですね。ただ吉武様は お坊様として
生きておられます。それだけで 満足ではございませんか? 私からしたら 凄く 幸せだと思います。
私くしも 高校は浄土真宗の 学校で 西本願寺だったと思うんですが 行ったのを 覚えています。
仏教とは 木と同じで 枝分かれしてますが
種は一つ お釈迦様の教えですよね 私くしも
煩悩まみれで 人様へと言う前に 学んでいかないと
いけません。 色々勉強してまいります。
すいません。とても 難しい お言葉なので
一つ一つ 考えてみます。
お忙しい中ご回答有難うございます。
仏教で 縁切りって 存在するのですか? 私くしは
親に 足止めって 狛犬に 何かを巻きつけるのを
された事があるんですが 本当に綺麗サッパリ 別れました。。。本当にそういう何かわからない ものが
あるのは ちょっと 嫌です。 幸せになるものは
いくらでもあったり していいんですが 縁切りって