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もう朝はこなくていい
朝はいらない


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

朝はあなたのものではありません。

いやー、考えてみましたよ。
「自転のスピードで西に移動し続ける」と、夜は明けなくなります。緯度が高い所の方が実道のりが短くなるのでお勧めです。
え、違う?
いやー、違っているのは、あなたの質問の立て方でしょう?「石を池に投げたとして、浮かべと念じたら浮きますか?」というお釈迦さまの問答があります。あなたの手を挙げることはできても、投げた石を浮かべることはできない。あなたの目を開くことはできても、夜明けを止めることはできない。
質問の立て方が答えを規定します。間違った問題は迷いの元になるばかりです。
おはようございます。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

それこそ暗い夜な考え方というもの

心が暗く沈んでいますと、何をするにしてもお先真っ暗、マックロード,まっくろくろすけ、マッドマックス、MADマキシムマキシマ夢になります。
それは「そう見えているだけ」「そう感じるだけ」「そう思えるだけ」なのです。
ダークに感じるヤミも心の中のネガティブ物質分泌作用みたいなものです。
実際の朝は本当はこちらの考えていることとは別の朝です。
今日は今日で今日初めての朝なのです。
産地直送、採れたてフレッシュ新鮮な一日です。
ぜひ、心のあり方を変えてみましょう。
脳内データが古いままなのです。
過去の嫌なことをずっとどこかにとどめているのかもしれません。
メガネも曇っていれば世界も曇って見えるものです。
メガネのふき取りにはクリンビュー。
心の眼鏡のふき取りは坐禅ビュー、正見ビュー、ノンシンキングビュー。
思いを添えずに世界を見ることはできるのです。
思考は思考で立ち上がりは早いものです。
ですが、智慧の剣はそれ以上です。
考える前に知覚がある。
考える前に感受がある。
あなたが朝を嫌だと思う前に手つかずの朝がいつも迎えに来ています。
朝のみならず、一秒一秒、いつでも手つかずのまっさらなままにあなたを迎えてくれています。そういう学びを仏教に求めてみましょう。必ず救われます。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

佐藤 良文 様
「おはようございます」今の私には言えません。
会社は36歳以上は若手の踏み台になれ、という考えです。土日も仕事してチャンスがきた時に対応できるようにレベル上げても、そもそもチャンスがきたら取り上げられて若手にプレゼントです。そんな未来のない社会に「おはよう」。何にですか。朝がくる、若手にでしょ。私にとっては、ただ電気をつけなくてすむ朝なだけです。

丹下 覚元 様
丹下さんと佐藤さんからのご回答と、佐藤さんにお送りしたお礼(お礼とは少し違いますが)何度も読み返しました。
今の私こそ仏教が必要ですね。
朝にとってはビックリかもしれません。採れたてフレッシュ新鮮な1日の始まりがワタクシによって恨まれているのですから。今の私と同じ目を朝にさせる事になります。
嫌な事、古い脳内データは眠ってバイバイします。
大切な事をありがとうございます。

佐藤 良文 様
最初にお送りしたお礼(ではないですね)では言い過ぎました。
ごめんなさい。
今は夜ですが、あえて…、
佐藤さん、おはようございます。

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