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仏壇に合わせる時

回答数回答 1
有り難し有り難し 17

目に留めて頂きありがとうございます。
この度、仏壇に手を合わせる時の事でご教示下さい。

我が家は浄土真宗で、自宅にも仏壇があり、母と共に出来る限りお世話させて頂いております。仕事に行く前と帰宅時は『いってきます。今日も1日よろしくお願いします。』『ただ今戻りました。今日も1日ありがとうございました。』など、短いですが手を合わせ、朝と就寝前には、『1日見守って頂きありがとうございます』など感謝の言葉を心の中で言い、しっかり手を合わせておりました。
恥ずかしながら、この歳になっても正しい手の合わせ方を知らず、少し前まで仏壇に向かってお願い事をしておりました。『宝くじが当たりますように』とかではなく、現在、私は婚活中なので、『上手く行くように見守って下さい。』『今やり取りして人が本当にふさわしいのか、正しい道にお導き下さい。』などという内容です。

ですが数ヶ月前にテレビで、仏壇にお願い事をするものではないと、住職の方が仰っており、無知な自分がすごく恥ずかしくなりました。ご先祖様は毎日修行をされているので、南無阿弥陀仏と唱えるといいと仰っておりました。

しばらくは、その通りにしていたのですが、少しずつ正解が分からなくなり、こちらでお聞きした次第です。
どのような言葉をかけるのがいいものなのでしょうか?

また仏壇とお墓の違いも教えて頂けますでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたと仏様が出会う場所

お仏壇やお墓でのお参りの仕方についてご質問をくださりありがとうございます。普段からお仏壇のお世話をなされているとのこと大変感心いたします。

まず、「お願い事」についてですがお願い事をすることが悪いわけではありません。ですからお願い事はいくらしていただいても大丈夫ですよ。

ただし、私たちがお願いするような内容について、仏様やご先祖様がそれを叶えてくれるということはありません。

仏様やご先祖様には「仏様としての願い」があるのです。お仏壇はたしかに先祖供養的な役割を期待される場ではありますが、特に浄土真宗においては仏様と私が出会う場所です。ご先祖様はその橋渡し的な役割をしてくださいますし、また、ご先祖様自身も今残された私たちにとっては仏様としてはたらいてくださる存在です。

お仏壇には「ご本尊」があります。ご本尊とは読んで字のごとく根本的に尊いものであり、また尊いからこそ私たちの根本となるものでもあります。
そこで私たちがお願い事をするとしたら、その時私たちは「私(の願い=欲望)」を中心としてしまっています。
そうではなくご本尊としての仏様の「仏様としての願い」を聞くところに大切な意義があります。

しかし、仏様はそんな私たちの姿はお見通しです。ですから願い事をしてはダメということではありませんし、したからといってバチが当たるわけでもありません。仏様のお心は海の様に広く限りのないものです。

そのような仏様の「仏様としての願い」とは、

「あなた個人の願いが叶おうが叶うまいが、いつ、いかなる時でも、私はあなたを嫌わず見捨てず救います。たとえあなたの中にどんなに醜くおぞましく自己中心的なものがあろうとも、それを理由にあなたを除け者にしたりはしません。私はずっとあなたのことを願っています。」

というものです。

なお、お墓も同じです。そこにはご先祖様のお骨が納められていることと思います。私たちはなんとなくそこに行けば亡き人にあえるような感覚を持ったりします。そういう人間的な感情をとおして、ご先祖様は場をご用意してくださっています。

仏様(の願い)とあなたが出会う場所を。

これからも今まで通り是非お仏壇でもお墓でもお参りください。そしてふと仏様の願いを聞きたいなと思ったならば、お寺や本やここhasunohaでその願いをたずねてみていただければ有難いです。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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