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お坊さんになるのに運転免許、PC操作、その他は必要ですか?

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将来お坊さんになりたいハルソラと申します。

お坊さんをしていく上で仏教への信心と学びが必須なのは言うまでもありませんが、それ以外で必要なスキル(またはあった方が良い)はありますか?

法事、お葬式、お彼岸での移動に車が必要そうですし、情報化社会においてはパソコン操作のスキルも求められそう。

御朱印を書いたり、お知らせの掲示をするのに書道の腕前もあった方がよいですよね。

普通の社会生活をしているうちに、なるべく身に付けたいと思いますが、お坊さんになってから必要に応じて身につけるのもあり何でしょうか?

ご教授よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

出来ることが多ければ可能性は増えます。

ハルソラさん、初めまして。

おっしゃる通り、パソコン操作や車、バイクの運転免許、書道の腕前があるに越したことはありません。
英会話や経理計算、日曜大工、デザイン、プログラミング等のスキルも然りです。
法話や布教をする上で教養も身嗜みも快活な声や滑舌も大切です。

当たり前ですが、出来ることが多ければ可能性は増えます。
お坊さんになってから必要だと思うことを学ぶのも勿論ありです。
我欲という色眼鏡を外せば世の中に無駄な物はありません。
正しい心をもってすれば、身につけた知識は必ず役に立ちます。

ですが、本当に大切なのは貴方が何故お坊さんになりたいか、お坊さんになって何をしたいかだと思います。
(信仰云々、学び云々は大前提なので省略します)

光禪師も触れられていますが、お坊さん、僧侶は職業ではなく生き方です。

お坊さんと呼ばれる方達の職業は宗教活動家、宗教法人代表役員、宗教法人職員です。
一方で、学校教師や会社勤めなど他の仕事をしながら僧侶として生きられる方も多くおられます。

貴方はどのようなお坊さんになりたいのでしょうか?
きっと貴方の心の中に答えはあるかと思います。
また、自ずと進む道、やるべきことが見えてくるかと思います。

頑張ってください。応援しております。

余談ですが、僧侶として各本山(各宗派の中心となる大きなお寺)や各地域の大きめのお寺に務めることを希望する場合、普通運転免許はほぼ必須です。
小型バイク、中型バイクの免許と書道や語学やその他資格特技があれば優遇されたり有利な条件で雇用されます。参考までに。。。

合掌(^人^)

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未だ愚迷凡夫の身ではありますが、皆様の一助になるようなお答えができれば幸い...
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どんな生活であれ、今の目の前の生活や人間関係に一所懸命に取り組むことです。
その人生経験が後々お坊さんとしての個性になります。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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お坊さんはお仕事じゃないのであまり関係ないと思います。自転車のお坊様もいますし、手書きのお坊様もいます。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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お坊さんも専門がいろいろあるので

お坊さんの中で、たまたま皆さん方が目にすることが多いお寺のご住職をされている方でいえば、早い方は小学生・中学生のうちから得度して僧侶になっています。もちろん大学在学中にという方もいます。
ですから必要なスキルをつけてから僧侶になったのではなく、僧侶になって、自分の進むべき道に応じてスキルをつけていっている方の方が多いと思います。
それにお坊さんにはなっても法事やお葬式にかかわることが無いお坊さんもいます。儀式の雅楽演奏が専門であったり、教学研究が専門であったり、伝道布教で各寺院等に講師としてお話をしに行くことが専門であったり、あるいは宗派の職員になって会社と同じ経理や総務の仕事をしていたりとかもあるのです。海外開教など英語のほかポルトガル語など現地の言語を身につけて海外寺院に赴任する僧侶もいます。
弁護士の僧侶もいれば医師である僧侶も税理士である僧侶もいます。
将来どうなりたいという希望やイメージをもつことはかまいませんが、現実の僧侶世界の活動情報を得ることと、この娑婆世界で生活をして生きていくて道とを両方うまくお考えになった方が良いと思います。
お坊さんは基本的に仕事ではないので、少なくとも生活の糧としては別の仕事をもっている兼職的な僧侶が多数だということも知っていた方が良いでしょう

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浄土真宗本願寺派 布教使 60歳 私はお寺に住んでいません。横浜市在住。...
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質問者からのお礼

お坊さんが職業ではなく、生き方だというのはまったくその通りだと思います。

様々なスキルがあれば、何かしらの役にたちそうですが、お坊さん生活の実情をもっと知る事が大切ですね。
それは今後模索していきます。

私がお坊さんになるのは(なれたら)それは良き仏縁のおかげだと思います。

ここで頂いたご回答もまた良き仏縁。ありがとうございました!(^人^)合掌

「出家・得度・僧侶になりたい」問答一覧

僧侶になり、お坊さん便に加盟したいです

 現在60です。  最近、退職しました。これから浄土真宗本願寺派の僧侶になって、できたら死ぬまで僧侶として働きたいと考えてます。  まず、僧侶になるためには、得度を許可し所属寺になってくださる師僧さんを探さなくてはいけないこと、そしてそれがかなり大変なことは調べて分かりました。その難関をなんとかクリアーできたとして、その後の僧侶としての生活について教えて頂ければ嬉しいです。  どこかの所属寺に所属する教師僧侶になれたとして、その後、そのお寺に雇って頂くということをまず考えました。しかし、最近では、他人を雇うほど余裕のあるお寺はあまりないと考えました。そこで、自分でネット(イオンやお坊さん便)などを利用して、法事の機会を与えてもらいつつ、修行&生計を立てることができれば、色々良いのではないかと現在考えています。  そこで教えて頂きたいのですが、お坊さん便などを利用して、所属寺外で法事を営むことは、所属寺から許可してもらえるでしょうか?また、許可してもらえるとして、やはり収益の何割かをお礼として喜捨させて頂けば良いのでしょうか。  僧侶になることは真剣に考えています。そこから、生活できるくらいの収入をもちろん得たいと考えていますが(年金が少ないので)、残りの人生を他の人に貢献するために使い切りたいという気持ちが強くあります。ご相談頂ければ大変うれしいです。

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田舎の寺を継いだが辞めたい

はじめまして。 地方の田舎の寺を親から継いだ40代独身です。 20代で修行を終え、最近登記も済ませ、住職となりました。 姉(独身)と父(もう高齢化してきてます)と私の3人でやってます。 母親は檀家の紹介でお見合いし、父と結婚。しばらくアパートで暮らしてましたが、姉が産まれ、しばらくして、弟である私が産まれました。 その後、寺に入ってほしいと祖父母からの要望で、田舎の寺で祖父母と同居となりました。 母はそこそこ有名企業で収入もよく、当時結婚が当たり前の時代、相手はほかにもいたというのに、なぜ寺なんかに嫁いだのか・・・。 私らの子育てがあったので、仕事をやめ、寺で生活してましたが、慣れない祖父母との同居生活、加えて急に来る檀家の対応等で精神疾患となりました。 どうしても無理だと思った母を見かね、父は私らを連れて寺を出ることになりました。寺から1時間程度離れた別の場所に家を建て、そこで私らは育ちました。住所変更も済ませ、学校などもそちらの地元を出ました。 その後、私は専門を出て就職したのですが、父が病気にかかり、寺を継いでやってくれと頼まれまして、仕事をやめ、そのまま修行を終え、寺に入って住み込みで約10年ほどやってきました。 田舎の檀家寺になりますので、近辺のほとんどが昔からの檀家です。 付近の住職死亡後誰もやらなくなった無住の寺を代務でいくつも抱えており、その負担が私に全部来るようになってます。 朝でも夜でも電話もなく、いきなり急に来る檀家が多く、毎回相当なストレスを感じてしまいます。少しでも出れなかったり、いないと、なんでいないんだ?どうなってるんだ?と怒鳴る檀家もいて、もう寺にいたくないとさえ思うことが多いです。 葬式が入れば、戒名いらない、葬式だけ1日でやってくれ、寺に親が昔勝手に建てた墓があるから仕方なく、住職を呼ばないと納骨ができない・・・そんな感じの檀家がほとんどで、毎回対応するのがものすごい大変です。 今はまだなんとか父がいますので、いろいろ聞きながら、私が檀家の接客電話担当、姉は裏方で主婦みたいな感じでやってます。 もう姉も私も結婚は難しいと思ってますし、檀家は全部あわせると400件ほどおり、次はいったいだれがやるのか・・・。 できることなら私と姉はやめて、寺から出ていき、よそから住職呼んで継いでもらいたい・・・甘い考えなのでしょうか?

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鬱病でも仏門に入りたい

今年24歳になります。色々とあり発達障害、鬱病の診断を前々からされています。 もともと10代の頃から、おばあさんになって自分のやりたいことが出来なくなったら仏門を学んでみるのもいいかもしれないと思っていました。 通信制の学校を卒業し、やっとやりたいことをみつけ、SNSや動画を作ったり個人で活動をしていましたがメンタルも体調もよくならずやっと3年続けて折れてしまいそうです。 こんな自分を変えたいと思い、筋トレを始め、たまに仏教や神様のことについて調べて、自分を愛す、諦める、という方法を試したつもりでしたが 自分はだめだ、という固定概念が覆せずやりたい事、今まで楽しかったこともダメになってしまい これでは人を笑顔にするのはおろか、自分のことも幸せには出来ないと嘆いてばかりです。 バイトを始めれば人間関係が上手くいかず、働かなければ罪悪感に苛まれ、休むこともままならない中、 修行僧を募集しているお寺さんがあることを知りました。 ここで2つ疑問があります。 自分は、仏教について趣味程度の知識しかなく、学校にて学んだことはありません。 精神病について悩んでいる方も迎える、と言ったお寺さんがあることも知っていますが 自分を変えるため、自分のため、と言った理由でも、履歴書をちゃんと書いて、ゆくゆくは人の為に祈りたいと仏門に入ることは許されるのでしょうか。 また、大学に入って学ばなければ修行僧としての受け入れは、やはり難しいでしょうか。 まずは家でやれる写経や座禅、やってみました。 近くのお寺では説法会?など予定が何年も前からずっと更新されず体験出来ていないのが現状です。 頭の硬い私にはなかなか効果がでず、悪い言い方になりますがいっそ 厳しい世界でシバいて だめならシバかれた経験を生かし自分に強く生きていきたいと思っています。 女の体として生まれたので壁もある世界かもしれませんが、頑張りたいと想ってもいいのでしょうか。 お坊さん本職の方から意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いします。

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得度に関して

私は、海外在住50代の女です。真言宗にて得度をうけたいと考えています。尼僧になるのが、目標ではなく これから仏道の道を歩み、学んで行きたいという決意です。自分でできる限り調べておりますが、女の得度については情報がなかなか見つからずにいます。師となって頂きたい方がおります。お遍路の大雨の中避難先ののご住職です。もし受け入れていただけるのであれば、年に一ヶ月くらい 住み込みで勉強させていいただきいと思っています。お手紙にて思いの丈をお伝えしたと思っているのですが、このように突然見ず知らずの一度お会いしただけの私のようなものが、このようなお願いを送って失礼はないのだろうかと一歩踏み出せずにおります。私の住む街の寺院名を仮にAとBとさせていただきます。 寺院Aには、ご住職にお願いしまして、お掃除をさせていただいております 週末外庭とお掃除、その後依頼されて納骨堂(期間限定)のお磨きをさせていただいており、2年が経過しています 特に感謝の言葉をお声がけいただくこともなく、自分自身の修行であり感謝の言葉を期待すべきでないと言い聞かせています。一度、ご住職に仏道に進みたいと相談したものの、写経に参加しなさいという回答のみでした。 寺院Bの先生は、私が得度を受けたいと思っている師の元で、修行をされています。それがわかったのは、その寺院にて避難させていただいていた同じ時に、いらっしゃいました。 この先生は、少しずつですがこの寺院にて学んで行ってはいかがでしょうと行ってくださいました。実際、専修学校にいくお金を今工面できないために、日本に行けない間は、こちらで学ばせていただこうと思っています ただ私は、どちらの檀家でもありません。同宗派とはいえ自分の寺院を一つにするべきとと思うのですが、いかがでしょうか?寺院AもBもご住職は、日本語でないため、日本本語の話す師のもとで得度し、前進していきたいと思います。 師を日本にもち、寺院Bの先生に学び 寺院Aにてお磨きさせていただいたいと思うのは、欲張りなのでしょうか?また、現実的な金銭的なお話ですが、得度をお願いする際に、どれくらい用意しておくべきかアドバイスいただけますでしょうか?、またその師には、毎月、または毎年お礼として上納するのでしょうか? まとまりのない文章で失礼いたします。 ご意見をお聞かせいたけましたら幸いです。ありがとうございます

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女性の在家の出家を認めてくれますか?

禅の独自の方法で集中的に在家修行をして、3年以上になります。6年前に大学院在籍中に、気づきの瞑想の型を習得し、研究で理論を創造し、理論を実践の内容とし、禅の独自の方法として理論を修行に応用化させました。 今の境地を顕すなら、宇宙の理を見ることができるようになりました。私がどういう仕組みで、どういう自然の流れで生かされているのか、理解できるようになったのです。この真理の構造を知る事によって、他者や物理的法則がどういう意識、又は秩序の構造か、知る事も可能になりました。 今、困っているのが、食欲が減退し、ご飯は無理矢理食べています(死にたくないからです。)、睡眠欲が完全に無くなり(今、書いている時間帯まで眠れません)、性欲も気持ち悪くなってから、追求しなくなりました。他者に配慮したり、他者のペースに迎合すると、忽ちに気力が無くなってしまいます。この時、呼吸も乱れて、身体に力が入らなくなり、動けなくなります。今は、生きるのに思うようには行きません。 出家したら、自分の主体が乱れるのも危惧していますが、このまま一人で暮らせば、誰も加護してくれない場合、私は生きていけるのか、漠然としたシコリがあります。出家の本来の意義は、生きるか死ぬかの狭間で、世に殺されない為、即ち、世との軋轢で自殺しない為にあると、ささきしずか先生の本で見たことがあります。私は、日本社会の隅っこで、唸り続けながら、死ぬしかないのでしょうか。出家するしかないのではないか、といつも思っていますが、何故か今は、念仏して拝みたい欲に駆られて、仏様の側に居たい気持ちでいっぱいです。誰か、助けてください。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ