hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

価値観とは

回答数回答 2
有り難し有り難し 22

どうしても周りの友人と自分を比べて優越感や劣等感を持ってしまいます。
常に勝っていたいと言うか、、
持ち物や住んでいるところなど、、
簡単に言うと友人が高いもの、おしゃれなものを持っていると悔しいと思ってしまいます
比べている自分も嫌ですし、そんな物差しでしか見られない自分も嫌です
自分は自分。と何度も思うようにしてきましたが未だに思えません。こんな感覚のまま人生を歩むと思うとつまらない人生になりそうで嫌です。。
なにかお言葉を頂けますでしょうか。宜しくお願い致します。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

比べたくなるけど、「足るを知る」が大事

 「あの人の境遇に比べれば、自分の方がましだ。だから、現状で満足しよう。」そういうふうに考えることがあると思います。あの人より、自分の方が収入が多い。あの人より、自分の方がいい家に住んでいる。

 或る人との比較から持った優越感なんて、別の人と比較すればすぐ崩れてしまいますよね。むしろ不満が募って来ます。Aさんより収入が多いと優越感を持っても、自分より収入が多いBさんと比較して劣等感を感じる。こんな結果になりますよね。こういう気持ちの持ちようでは、幸せになりません。満足を得ることは出来ません。

 ほうっておくと、我々人間の欲望はどんどん暴走してしまいます。膨張してしまいます。歯止めをかけることが必要です。こうした欲望の膨張に「待った」をかけることが必要です。 自分の今に満足できる。「足るを知る」ことが必要です。足ることを知ってこそ、自分の今を幸せと感じることが出来ると思います。

 ということを以前法話の会でお話したことがあります。下記のブログ記事をご参照ください。

法話30 足るを知る(前) https://blogs.yahoo.co.jp/dorinji/19674236.html
法話31 足るを知る(後) https://blogs.yahoo.co.jp/dorinji/19688865.html

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努めております。決して容易いことでは有りませんが、一期一会の気持ちで相談に、葬儀法事に励みたいと思います。    最初法学部部にで学び、4年間ほど公務員をしていました。(税務署勤務)その当時の学びと経験を終活相談に活かしたいと思います。                                              昭和63年5月に住職となってから、30年が過ぎてしまいました。仏教学・禅学もそこそこ真面目に学んだつもりですが、宗教学・宗教民俗学に力を入れて学びました。そういう分野については丁寧な回答が出来るかも。
一人一人の気持ちに寄り添い、傾聴に徹して、心をほぐしてあげられるよう、努めたいと思います。 それと同時に、完璧に出来るとは限りませんが、其の人が歩むべき方向を一緒に考えてあげたり、次の一歩を踏み出せるよう背中をおしてあげられるよう、努めたいと思っております。

南無阿弥陀仏

周りの人と自分を比べて優越感や劣等感を持ってしまう…私も同じです。そしてただ比べるだけでなく常に勝っていたい思ってしまうのもやはり同じです。

それでなんとなくより良いものを買ったり、無理に競って知識を広げて勝ったつもりになったりしてふと気づくのです…あれ、オレ何やっているんだろう??と。

やはりそれだけだと空しいのですよね。本当には満たされないのですよね。

本当にこれ欲しかったのかな?本当にこんなことしたかったのかな??と後から気づき、恥ずかしくなる。
でもね、きっと私たちはそんな風に自分のモノサシを基準にして比べたり、勝ちたいと思うことからは逃れられないのです。だって物事を見たり、考えたりする基本構造がそうなっているから。
目は外を向いてついてるし、自我は他(最初は母・親)との比較から成立してるから、それはやめられないのです。

わかっちゃいるけどやめられない

ですね…。

だからね、大事な事は自分がまた比べてしまっているなあと気づくこと。あるいは自分の本当の願いを知る事。
そしてそれは自分の力だけでは無理なのです。だから私たち仏教徒はそれを仏様や仏様の教えや仏様の教えを共に学ぶ人に尋ねます。
自分の姿は自分ではわかりませんから、他から教えてもらわないといけないのですね。

でもいつでもどこでも他人に教えてもらうわけにはいかない。それどころか他人になんか教わりたくないと頑張ってしまう自分がいる。

だからこそ、「自分の思いを超えて自分を離れない他の力」に私はそれを委ねています。それは浄土真宗でいえば「南無阿弥陀仏」のお念仏です。これはいつでも・どこでも・誰でもできることです。

南無阿弥陀仏とお念仏申したその時に、私は「私の姿はどうなっているかな?」「これが私の
本当の願いかな?」と我が身を振り返ることがでるのです。そして振り返りながらも、どうしようもない愚かさを貫いてしまう私さえも許されて…ただただ「南無阿弥陀仏」の毎日です。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ