心の傷の癒し方
W介護の悲劇というニュースがありました。明日は我が身と思う今日この頃です。
義父母をほぼ毎朝デイサービス(以下デイ)へ送り(9時)、16時には迎えに行きます。
雨の日は気分が塞ぐし、面倒で、行きたくないのもよくわかります。
デイを休むことも自由なので、そこは構わないのですが、
行きたくない理由に私が納得いきません。
義母は、雨だし義父が車いすだからと言い、義父は、デイに行ってもすることがない、何もしてくれないと言います。
雨の日はデイの送迎があり、車いすでもほぼ濡れることはありません。
行ってもすることがないというのは、義父がほぼ全介助なため、他の人と同じことができない。何もしてくれないは、自分の思い通りに(都合よく)動いてくれる人がいない。(デイでも家の中でも)
言いたいことはわかるのですが、デイのスタッフの人数はギリギリですし、正直、いまのデイはとてもサービスがいいです。
沢山声もかけてくれるし、外出も多いし、スタッフの対応もよく、日々日頃いろいろなリハビリもしてくれます。
私自身、食事関係以外は呼ばれたらすぐ手伝いに行きますし、自分の用事を調整して病院に付き添ったり、リハビリの手伝いなど、力仕事もしているので、何もしてくれないと言われると、私のしていることは何なのかとわからなくなり、辛いです。
義父母にとって至れり尽くせりな介護をしなければ、私が介護をしていると認めてもらえそうにありません。義父母ともに意地の悪いところもあるし、私は嫁で他人なので、諦めの境地ではありますが、「何もしてくれない」の一言が枷になって落ち込んでいます。
言われたことに言い返すのも時には必要だと思いますが、言えば自分(義父母)は悪くないの一点張りなので、話しあう余地もありません。
となると、私が一方的に溜め込むしかなくなり、悪循環です。
旦那様は極端で、嫌なら辞める、いいなら続けると2択です。言い方も義父母に対してキツイところがあるので、あまり相談できてはいません。
言葉の呪縛から逃れる方法というか、かわし方ってあるんでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
誰だって自宅がリラックスできる
誰だって、自宅の方がリラックスできるでしょうから、デイサービスに行くのが面倒だと感じるのは仕方ありません。
介護を受けなければならない身体になったら愚痴の一つや二つはこぼしたくなる、これは、くしゃみや咳みたいなものだと思って、あまり深く考えないで良いと思います。
欲・怒り・怠け・プライドの煩悩は誰にでもあるので、
「あ、今、義父の怠けの煩悩と怒りの煩悩が発動してるんだな。誰にでもそういうときはあるよな。」
と確認して、あなた自身の怒りの煩悩を静めるようにしましょう。
その上で、あなたは、なぜ義父母にデイサービスに行ってもらいたいのか、
あなたの気持ちを義父母に理解してもらう必要がありますね。
つまり、お互いにお互いの気持ちを労りあう、そんな家族になって、
お互いの欲・怒り・怠け・プライドをある程度許容しあえる関係が築ければ良いですね。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
誰にでもそういうときはある…頭の片隅において一歩引いていられるようになりたいです。