自分の知らないこと
友達は知っている、経験したことがあるのに自分が知らなくて経験のないことがあると、羨ましくてすごく悔しい気持ちになります。なんでも知っているなんてありえないはずなのにこの劣等感はなぜ生まれるんでしょうか。どうしたらこの悔しさを抑えられるんでしょう?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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知らなくたっていいじゃん
昔から私にもそういうところがあったので気持ちはよくわかります。
人と自分は違う。それでいいという事を知る事です。知らない事があっても当たり前。人と比べても仕方がない。知りたければ素直に聞く。それでいいのです。ムキになって友達に追いつこうとする事はあまり良い事だとは思いません。あなたにしかできない事もあるはずです。
素直になればいいのです。生まれたばかりの純粋な時のあなたは、そんな事は思ってなかったはず。そうした子供の頃の様子から学ぶと良いと思いますよ。
お若いんでしょう?
こんにちは。まだまだお若い方とお見受けします。よく年長者から「若いって羨ましい!」って言われませんか?それは決して身体だけのことではないのです。「いろんな事を吸収していける、その余地がある」こと自体が眩しいのです。
もう大人の社会にも触れているでしょうから、周りをみると羨ましく思うこともあるでしょう。けれど、若いということは「何それ?教えて!」を言えるという特権があるのです(実は大人にもあるのだけれど、大人はバリヤーが硬くて…)。だから、「悔しい」と思ったら、そのまま「悔しいけれど教えて(はぁと)」というセリフを身に付けるといいと思います。相手にとっても、自分の興味あることを他人と共有できるのは、必ず喜びに繋がります。
先日の質問で「夢中になれるものがない」と書かれていましたが、いきなり夢中になることは非常に稀です。たいがいは「あれ?」と気になり、いろいろ調べたり主体的に関わって「面白い!」になっていくものです。いまの時期は「楽しそうなものを、少しずつかじっている」で良いのではないかしら。夢中になるのは素敵なこと。でも、まだまだ視野を広げていって良い時期でしょう。もし可能であれば、海外への旅行をお勧めします。で、現地の人をよく観察する。実は人間ほど興味深い存在はないと思いますよ。