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真言宗なのに法華経好き。(久遠実成と大日如来について)

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有り難し有り難し 59

こんにちは。
私は、家の宗派は真言宗なんですが、実は法華経も好きです。

先日、鴨川に出掛ける機会があり、縁あって日蓮宗の
誕生寺にお参りさせて頂きました。
参拝時は流儀に従い「南無妙法蓮華経」とお唱えし、
法華経について色々と考えさせられるきっかけとなりました。

「観音経」として知られる二十五品や有名な「自我偈」を含む十六品など、
どれも素晴らしいのですが、私が特に好きなのは
仏の命が永遠と知って全世界(全宇宙?)の菩薩が歓喜し、
曼荼羅華が降り注ぎ、天には妙なる音色が響くと言う、
壮麗な仏国土が現前する十七品(分別功徳品)です。

「如是等衆生・聞仏寿長遠・得無量無漏・清浄之果報」
の所が特に好きで、正直この部分を紙に書いて
お守りとして身につけたいくらいです。
この世の誰をも救ってあげよう!って大らかさとパワフルさが
法華経の魅力だと思うし、そんな法華経の魅力が結実している
一文だと考えてます。

で、ふと思ったんですが法華経の十六品や十七品で言及されてる
久遠実成は、永遠性や普遍性といった性格が大日如来と共通している
のではないでしょうか?
上述の十七品は「仏国土は遠い彼方にあるものではなく、仏の永遠性を
信じれば、この現世こそが仏国土と知れる。」
と主張してるように思えますが、これは大日如来を中心とする
密教の思想にも通じていると感じるのですが如何でしょうか?

私にとって仏様と言えば、実家の仏壇に鎮座する、
きらびやかな衣装をまとった大日如来様です。
子供の時から手を合わせている大日如来様が、
法華経の久遠実成と相通じているなら
何と素晴らしい事か、と考えてしまいます。

厳密な意味での同体ではないにしても、
根底で通じているのではないでしょうか?
少なくとも相反するものではないと思うのですが如何でしょうか?

ご意見をお聞かせ頂ければ幸いです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

みんな通じている

某カルトが「法華経を読む日蓮聖人がイチバン!他宗は読まないからカス!」と宣伝したため誤解されていますが、密教も禅宗でも法華経は当たり前に読むんです。「法華経は日蓮宗の経典」ということはありません。そもそも法華経の成立は日蓮聖人のおよそ千年前ですし。

さて、仏も菩薩も究極的にはみんな一緒です。大日如来も久遠実成の釈迦如来も同じです。

まず、人間お釈迦さまが悟ります。悟るということはワンランク上の人間になることではなく、逆に人間とか私という境界線を取り払うことです。じゃあ自分とか人間という境界線を取り払ったらどうなったか?

「宇宙そのもの、もしくは宇宙の真理そのものである大日如来と同一になった」と表現したのが密教(華厳経寄り)、
「如来としての永遠の生命を得た(久遠本仏)」と表現したのが法華経です。
つまりどちらも「人間は本来、宇宙なんだぞ」ということを表現を変えて言っているだけですので同じなんです。

特に華厳経と法華経は同じ思想であり、真理を説く華厳経と、それを方便で分かりやすくした法華経という関係です。
だから法華経の久遠仏の方が人格っぽい表現になっているわけですね。その方便を剥がすと「仏が救う」が「仏によって本来救われている」という表現になります。

ついでに言うと、人間という境界線を取り払ったらについて…
「手も足も身体も無くなり、過去現在未来にわたって二度と生を受けることが無くなる」と説いたのが上座部(法華経は仏の命を得る、上座部は輪廻の生を受けなくなるという表現)、
「生きながらに死にきれ」や「山や川から茶の一杯に至るまで、目の前のこの世界が宇宙。自分自身もそれなんだぞ」と表現したのが禅です。
浄土教だけ末法思想がからんでいて(日蓮聖人は末法思想だけど法華経は末法ではないという解釈)単語の中身が特殊になっているのですが、結局は「念仏をすれば人間という境界が消える(無我になる)」という発想です。

結局、掘り下げるとみんな同じなんです。
もっとも、その境界線を取っ払うための道筋が別々なので、宗派を混同すると面倒臭いことになるのですが。

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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仏は皆同じ!

詠春童子さん、こんにちは。

素晴らしい洞察ですね。
教学的には、昔から、どの仏が素晴らしいのかという勝劣論争があるので、法華経を主体にする天台宗と日蓮宗では、同じ久遠実成仏でも、教学的には違います。童子さんの考えは、大日如来と久遠実成仏を顕密教の表裏一体にしている天台教学の見方に近いです。各宗派の教義なので、どちらが正しいかではなく、自分が納得できる教えから学ぶことが良いですね。

ちなみに私が学んで行き着いたのは、仏になった時点では大日如来も久遠実成も阿弥陀如来も本質は同じだと思っています。違いは人間の求めているものの見方に過ぎないからです。

いろいろ宗派をまたいで勉強すると、自分の選んだ宗派の特徴を学ぶことができますので、他宗学習も大切だと思っています。がんばって!合掌

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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
みんな通じている!仏は皆同じ!なんですね。
仏教の懐の深さを再確認しました。
安心してお大師様の教えを学び、日々の勤行とさせて頂きます。
また安心して法華経を勉強させて頂きます。

大慈 様
詳しいご説明ありがとうございます。
仏教の真理は一つで、各経典は表現の仕方が違うだけの
問題との事、納得できました。
華厳経って法華経より難しいんですか・・・遥か彼方を見上げるようです。
それにしても、「人間は本来、宇宙」「仏によって本来救われている」
って、素晴らしい事ですね。そのような境地に辿り着きたいものです。

染川智勇 様
かなり専門的なご説明、ありがとうございます。
私が読んでる本はひろさちや先生の「法華経 現代語訳」で、
注釈は一切無く、とにかく公平な立場で平明に訳す、と言う趣旨の本なので、
各宗派が法華経をどう解釈してるかは、全く知りませんでした。
他宗学習も、自宗の理解に繋がるんですね。
なるほど、天台教学の切り口からも勉強させて頂きます。

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