回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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特定の指導者のもとで順序正しく学ばないとどうにもなりません
まず前提として、『仏教では』という理解には無理があります。仏教は「八万四千の法門という言葉があるほど多種多様ですのでひとくくりでは語れません。
さて、自因自果や因果応報は『仏教以前からインドで定着』しており、ヴァルナ(カースト制度)の論拠でした。「お前ら下々の連中は前世の行いが悪かったから身分が低く、我々は前世の行いが良かったから身分が高い。これは今世の努力ではどうにもできないから逆らうな。せいぜい来世以降で頑張れ」という論法です。
この論に「それは違う!大切なのは今をどう生きるかどうかだ!」と反論したのがお釈迦さまであり、「苦の因果のシステムを理解すれば、苦の発生を抑えられる」と考えました。そのため早い時期の仏教の因果論はこんな方向性です↓
https://hasunoha.jp/questions/26295
ところがお釈迦さま自身、対機説法として出家修行者や在家信者、異教徒など相手によって色んな論法を使い分けています。そのためコテコテの因果応報も言及しています。(もっとも、お釈迦さまの言葉が文字化されたのはお釈迦さまの死後100年くらい経ってからなので、「釈迦はどう言ったか」を正確に知ることは不可能です。)
そしてイスラムのインド侵入後、復興期に他宗教とかなり習合していますので、そっち系の教説ともかなり根深く混じり合っています。
そしてココが一番大切なのですが、仏教の根幹は『無我』です。無我ならば、そもそも自因自果の『自』って何?という話です。それが正しく分かれば念仏でなぜ救われるかも分かります。
ただ、阿頼耶識(唯識)だの念仏だの釈迦だのと、アッチコッチのグループをつまみ食いしながら自分なりにパッチワークするような学び方は一番マズい手です。さしずめ日本語と英語とインド語の単語も文法もゴチャ混ぜにして文章を書こうとしているようなものです。
また、自分の事は一切語らず、気になった順に質問を立てられても手助けのしようがありません。そこはご了承ください。
悩み苦しみの原因に対処するため
私は、仏教は、悩み苦しみの原因に対処するための教えだと思います。
特に、欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩にどう対処するかが、悩み苦しみに対処するポイントです。
私は、因果応報や自業自得の考え方が好きです。
過去の自分に原因があって苦しんでいるのだと思えれば、他人を恨む必要がなくなり、世の中平和になると思うからです。
また、過去の自分に原因があって今の苦しみがあるとしたら、今から、未来の苦しみを減らすための対処を始めて、未来を変えることもできるはずです。
仏教は、運命・宿命でどう頑張ってもどうにもならない、という考えではないのです。
自因自果、仏因仏果。。
おはようございます。
基本的な教理といわれてイメージするものは
三法印:諸行無常、諸法無我、涅槃寂静(三法印)
これに一切行苦(一切皆苦)が加わり四法印といわれることもあります。
「どれか」が大事ではなく「どれも」大事だと思います。
一切皆苦⇒地獄ラインだけを重んじても不安が増えるだけで健全とはいえないです。
ところで自因自果を考えるときに、いつも思うことがあります。たとえば、夜寝ているときに息苦しさを感じる僕のことです。
医療的には睡眠時無呼吸症候群という診断を下されるのですが、仏教的には酸素を自分でつくっていないからその苦しみは受けて当然と言う診断を仏が下すのでしょうか?
仏の役割は「診断や判断」なのか?
閻魔さまが決めた裁きを「すくう」立場なのか?
仏の話を尊重する立場が仏教。
閻魔さまに従うなら閻魔教。
自分の話を尊重する立場なら自分教。
仏教を語るなら、仏を念じるのが基本かなと思います。
自因自果を突き詰めるあまり、仏がお留守になり自分に振り回される方も少なくないと聞いています。
自因自果を説かれた方に、自因自果と仏因仏果のどちらが仏教らしいでしょうかと聞いてみてはよいかと思います。
質問者からのお礼
浄土系の僧侶でしょうか?
>それが正しく分かれば念仏でなぜ救われるかも分かります。
これが分からないので教えてください。