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母親失格です。

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先日は、ありがとうございました。

私には三人の子供がいます。
上の子と下の子には普通に振舞えるのですが、真ん中の子には構えてしまってうまくいきません。可愛くないのです。

いつも衝突ばかりです。

小さい頃から病弱で心配ばかりしてきました。
今は高校生になり、病気をすることもなくなり本当に健康になりました。
しかし、勉強が全くできません。

それが恥ずかしい。

現在高校二年生で、そろそろ進路を決めなくてはなりません。
本人は保育士になりたいと言っていますが、勉強をする姿勢の見せないのになれるわけがないと思います。

失敗するとわかっている子の専門学校の資金を出すのが惜しいのです。

普通の親ならば、子供を応援しますよね?
それができないのです。

小さい頃から育てにくい子で、小学校・中学校の先生とも何回も話し合いをし児童相談所にも行きました。
それでも、上手くいきません。

自分の腹を痛めて生んだ子なのに、相性が合わないのでしょうか?

最近では、この子は発達障害があるのか、または何か悪いものに憑りつかれている・・・とまで思っています。

会話も無いし、接触もありません。
必要最低限の事(弁当・洗濯・食事)のことしかやっていません。
それで良いとは思っていないのですが、どう接して良いかわからないです。

同級生と比べてしまって、劣っているところばかりが目につきます。

どうすれば、他二人と同じように接することができるのでしょうか?
また、なぜ真ん中の子のばかり他の同級生と比べて惨めになるのでしょうか?

その子の事が恥ずかしくて仕方ないのです。
今では、生まなければ良かったと思ってしまいます。
本当に母親失格です。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたにエゴ的「のぞみ」があるからいけない

その子は野菜でたとえますと、トマトなのです。
ところがあなたは真っ白なカブをその子に求めている。
トマトは赤であることが『まっしろ』なのです。
親が決めることではないのではないでしょうか。
それを押し付けてきたら当然トマトちゃんも反発します。
日本人の私たちには変な「家意識」があります。
世間体、体裁、それらしく、一般的、デキる子、良いこと…
そんなものは全部一個人のエゴであると言いたいです。
あなたが母親失格であると自責するなら、自責の仕方だけ正直であるべきです。
本当はどこかで、その子に対して「何かないもの」を要求してきませんでしたか?
あなたが親から、変えられないものを「変われ!」と態度や表情、無言の圧力でされ続けたら、自分であることが嫌になりませんか?あなたの人生の主人公はあなたであっても、その子の人生の主人公はその子なのです。子供は「私の子供」ではないのです。ただ、小さいだけだから「子供」なだけで、その命は本人のモノであってわたし(アナタ)が「産んであげた」とか決して思ってはならない尊い存在です。
私的に「あなた」を押し付けているから、あなたも思い通りにならないから苦しくて当然。
私も子供がいますが、自分のもとで生まれてきてくれた子供であっても「自分の思い通りにならない」ことで苦しみは生まれません。その子の尊厳をそれぞれそれぞれ認めているからです。
みんな、違うのです。その子をその子として、トマトならトマト、スイカならスイカとして、サポートしてあげてみてください。あなたのその子への「おや」は、今から再スタートです。
子供に持つべきは願い・のぞみであっても、そののぞみが、ひょっとすると小さな小さな自分のエゴからくる都合のいい「のぞみ」である場合があるものです。子供はそれにアナタよりも敏感なのです。
まずは、詫びてあげてください。本当の親子になれますよ。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

成功者はいません。

そもそも人間は不完全な生き物ですから、完璧な人はいません。
それが証拠にこの世は失格者しかいないので、あちこちで問題や事件事故が毎日起きています。
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我が子を可愛いと思えない。あなたに限った話ではありません。
箸にも棒にもかからなければ誰だって嫌気がさすもの。
学資を惜しむ気持ちも当然です。
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嫌なものは嫌。それを素直に出せるのもまた家族ならではです。
母の愛情が欲しければそれなりのことをしてみせなさい。あなたはそんな気構えでいたらいい。
子に合わせるな、子の顔色みるな。
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母としてドンと構えていたらいいのです。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

欠点ばかり見ないで

能力には個人差があります。
重い病気や障害のある子供もいます。
兄弟や同級生と比較されていることは、真ん中の子供さんにも伝わるでしょう。
そうすると、親は自分を認めてくれない、自分は侮辱されている、と感じてしまいます。
劣っているところを見ずに、できていることを見てあげるのが大切ではないでしょうか。
例えば成績表を見るときも、親にとっては、できている部分は「できてあたりまえ」だから一言も誉めないで、ダメなところばかり文句を言ってしまいがちですが、できているところを丁寧に誉めてあげないと、子供には伝わらないかもしれません。

長所探しで言うと、お子さんが自分のやりたいことを持っているのはすばらしいことです。
将来のことを何も考えられない子供もいますからね。
保育士の資格を取れたら少なくとも臨時職員の仕事は全国どこに行ってもあるでしょうけど、このまま卒業しただけでは、どこにも就職できずに親のすねをかじりつづける可能性があります。
本人に多少でもやる気がある今の状況は、逃したらもったいないチャンスかもしれません。

正論、理想論になってしまいましたが。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

お二方、ありがとうございました。
また宜しくお願いします。

いろいろなアドバイスをありがとうございます。
じっくり読んで、これからの糧としたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ