亡くなった友人のために何かできることは
初めて質問させていただきます。よろしくお願いします。
数日前、大切な友達が突然の病で亡くなりました。21歳でした。私は今までに祖父母を亡くしていますが、祖父母が孫より先に天寿を全うすることは自然なことなので受け入れてきました。
しかし今回は、心が追いつきません。途方もない虚しさが静かに染み渡るような、初めて経験する感情に戸惑っています。
家族に慰めてもらったものの、友人と過ごした時間は私個人の中にしかありません。なんで私じゃなくてあの子なんだろう、と思います。ずっとこれからも一緒に同じ太陽の下で生きていきたかったです。
これが彼女の人生だったのでしょうか。私に出来ることは、今日も健康に生きることだけなのでしょうか。彼女とご家族に今私がしてあげられることは、祈ることでしょうか。それ以外に何かありますか。
支離滅裂な質問で本当に申し訳ありません。できればでいいのでお教えください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
彼女の生きた価値をあなたが受け継ぐ。
紫陽花さん、こんにちは。
大切な友達を亡くして、心が落ち着かないのですね。私も、生きている中で自分は今までと変わらないと思っていましたが、歳を取ることであらたな苦しみがこの、自分のご縁の死です。特に人生も後半戦に入ると生きているはずの同級生の訃報が、どんどん増えてきます。また人生の目標にした先輩の訃報も一気に増えます。長く生きる人の方が、死の別れの苦しみをたくさん受けるのです。
さて、なくなった彼女のためにさせてもらうことを仏教儀礼では、回向供養といいますが、お寺にいって供養を通じて霊界の彼女に思いを伝える儀式を昔から死を経験してきたご先祖様はなされて、心の安心を得てきました。三回忌や七回忌などの法要がそれです。
もう少しあなたが彼女のために生きたいのであれば、あなたが社会的に貢献できる立派な人になることです。それは彼女を通じて起きた菩提心だから、彼女のお陰にもなります。本来、善行というものは生きていなければできないのですが、亡くなっても、その人の志を生きている人が継ぐのであれば、善行は行っていることと同じとなり、その功徳は故人に行くのです。多くの過去の偉人は亡くなってなお多くの人を救っているわけです。同じく短い人生だった彼女もあなたが彼女のためにと思ってするのであれば、彼女の生きた価値は無駄ではなかったわけです。それこそが本当の真心からの供養なのです。
私も19歳の時に大好きだった人を亡くして、お坊さんになる一因になった経験もあります。私が彼女を忘れずに一所懸命人様のために尽くすことは、亡くなった彼女の生きた価値にもなるのです。
がんばって、彼女のためにあなたの生命を有意義に使ってくださいね。応援します。合掌