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生きる為だけに生きなければならないのか。救いはあるのか。

回答数回答 1
有り難し有り難し 14

自己嫌悪の延長なのか、精神的に未熟なのか、その本質を
見定めるほどの熟慮には至っていませんが、体裁良く言葉で
表すなら以下の通りです。

人生に置いて自己満足を得ることが叶いませんでした。
自身で選択肢を定める場面で良し悪し或いは甲乙を判断していますが
それにより満足したとは少し遠いほどに心に僅かな洞がございました。

ある程度の決定権を自由に行えるのは幸福な環境ではありますが、
その決定とは私個人が現在までに形成された思考に基づいた工程に
よって導き出された当然の恒常的な反応であると言えます。

あらゆる判断は例えどの様な物でも私が私によって
私に下す物である限り、驚きも感動も内包しえない。
乱暴な表現ですが、現象としては風が吹けば木の葉が揺れるのと
同程度に分類出来るとも言えます。

解決策として、自分で自分を満足させる事が出来ないのでならば
他者の手を借りるという考えもありはしましたが、そういった
外界からの干渉は「自分は他者が気に掛ける程の有用な者なのか」
と懐疑的な自虐の考えによって素直に受け止め切れないでいます。

自身の行動によって(例として対話や交友など)引き起こした
外界の反応が不和、好感、失敗、成功を招こうとも、それも
世界の正常な反応であり、自身の成果は能力に見合った当然の結果で
達成感が薄く、失敗が起これば不出来な己に猛省するのです。

また自分の環境や素養が気に食わないだけではとも考え及びました。
しかし、物事への執着心が薄いのか、裕福である事も、対人関係が
良好である事も、社会的な成功も特別望んではいません。
周囲に害を及ぼす事を好まないので逆の事を率先して行いませんが。

即ち私は出自や才覚に不満を感じるでなく、己が生物として生き
「個」として人格をもって思考行動する事に魅力を感じられない
でいるのではと考えています。

現状は己を満たす条件に乏しく、それを意欲的に取り組めない程に自身への関心が薄く、肉体を生かす徒労に終わる生活となっています。

このまま残りの時間、転機の訪れを何の予兆も無いまま待てるか疑問です。
周囲に迷惑の掛からない方法は少なく動機も絶望に至らないほど
希薄ですが、自決を視野に入れるも誰かを困らせる選択は辛いです。

無は楽土でなく踏み入る一歩は苦渋の決断とも理解しています。
落とし所は未だ模索中です。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

もっと色々教えてください

拝読しました。

あなたが今求めているものは何でしょうか?

自分の気持ちを言葉に表現して誰かに見聞きしてもらいたいだけなのか、状況を改善したいのか。

後者であるならば、今あなたがどんな状況で、これまでのどのような経緯からあなたがここに表現した気持ちに至ったのかもう少し情報がないと何ともお答えすることは難しいです。

あなたがおそらくそれなりの時間と労力をかけてここに表現していただいた内容について否定する気も議論する気もありません。
それがあなたがたどり着いたあなたなりの今なのでしょうから。

しかしそのたどり着いたものは固定不変の揺るぎ無いものではないでしょう。これから変わり得るものです。そしてこれからが変わるならばそれによってこれまでの見方や受け止め方も変わり得るものです。

どのような経緯かわかりませんが、登録いただいた年齢が正しいならば「人生に置いて自己満足を得ることが叶いませんでした。」と結論をくだしてしまうにはいささか時期尚早かと思います。

その「落とし所」というものをここで共に考えていきたいのか、あるいは既に見えているものに踏み出す勇気を後押しして欲しいのか。

是非次回はもう少し踏み込んでご質問ください。

ここは仏法の智慧に自らの現実を照らされ、共に具体的な歩みを求めるところです。仏法は思考や言葉の遊びではなく、行(ぎょう)、すなわち実践が伴うものです。

頭で考えただけのものはそれがどれだけ至高なものに見えても「真実っぽいもの」どまりであって「真実」ではありません。「真実」とは「真理」が「事実」にまでなってはたらくもの。すなわち現実のこの生きる歩みです。

またのご縁をお待ちしております。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

吉武文法 様
まずは、ご多忙の中でのご回答ありとうございました。
そして、無用な配慮から曖昧で具体性に欠ける長文を書き連ねた事をお詫びします。
また私の文章力が乏しいのだと思います。ご容赦下さい。

私の求める物とは「喜びを感じれる事もないのに労力を掛けてまで生きる事に疑問はあるが、
そんな理由で死ぬのは、身内や関係者に無用な心労や混乱を招く、良くない行いかもしれないと
思いつつもその考えが拭うことが出来ずにいるので第三者の意見を聞きたかった」
という事でした。

12の頃から10年クリニックに通うも改善(現状が病気であるとは思ってませんが)は無く、
それから限界を感じ7年の間、交友関係を広げ周囲の反対を押し切り仕事を変え、ローンを組んで
マンションを買い生活に責任を負わせるなど、少しは試しては見ましたが心情に変化はなく此処に
お邪魔したしだいでございます。
感性が鈍く死亡願望を持つこと自体には違和感を持っていない事が変化の妨げでもあるやもです。

次回があればご指摘頂いた所を改善し質問させて頂きます。
重ねてお礼申し上げます。

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