hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

極楽浄土への行き方

回答数回答 1
有り難し有り難し 22

最近、生きとし生けるもののはかなさや、努力しても業ばかりを積んでしまうおのれの無力さを噛みしめる毎日です…。自力救済の困難さを痛感する日々です…。

そんなこんなで、浄土真宗の教えを学ぼうと色々と調べたのですが、詳細かつ信憑性のあるできる情報があまり得られず…。寺院やご住職さんが書かれた記事などがほとんどなかったのです。

そこで、浄土真宗のご住職様方にお伺いしたいと思ったのです。来世で極楽往生するための方法を、詳細に教えていただきたいです。

①念仏と②信心が必要だとは伺ったのですが、本当でしょうか? 信心を得るというのが抽象的な気がするのですが、具体的にはどのようにすればよろしいでしょうか? 

また、どのような人間も、極楽浄土に行くことができるのでしょうか?どうかご教示くださいm(__)m

2018年7月5日 21:35

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

若一日、若二日、若三日、若四日、、、

”具体的にはどのようにすればよろしいでしょうか?”
「真実の信心は必ず名号を具す。名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。」『教行信証』で親鸞さんはそう教えてくださった。
ホンモノの信心には必ず念仏がセットだ。だからといって、念仏には必ずしも信心がセットだとは限らない。でも信心はなくとも念仏はある。念仏抜きに信心は得られない。念仏とは「なむあみだぶつ」と声に出して唱える事をいう。

例えば、本田圭佑はサッカーの素晴らしさを誰よりも理解している。サッカーの【信心】を獲得しているわけだ。なぜならば、誰よりも一生懸命にサッカーの練習を重ね、追求してきたからだ。でも、もしサッカーを一生懸命に練習し追求してくることがなかったならば、あんなふうに活躍することもなかっただろうし、今ほどサッカーを愛し理解することもなかっただろう。
これと同じです。念仏の素晴らしさ、尊さ、つまりお念仏の功徳利益で極楽浄土に往生することが決定したぞ!! お念仏ってすごいわ!!という確信【信心】の獲得は、念仏を申す先にこそある。念仏を唱える事が大前提だということ。まぁ、よくよく考えてみりゃ当たり前な話だよね。

だから、まずは念仏申す日々を送ってみて下さい。

”どのような人間も、極楽浄土に行くことができるのでしょうか?”
「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし 摂取してすてざれば 阿弥陀と名づけたてまつる」『浄土和讃』で親鸞さんはそう教えてくださった。
阿弥陀さんがみそなわしておられるのは「一切衆生」とは言っていない。でも「信心獲得の衆生」とも限定していない、他ならぬ「念仏の衆生」だそうな。ということは、どのような人でも念仏申すという条件を満たしているのならば極楽浄土に行くことができるという事です。

<追記>
”他力念仏を続けさせていただけばよいのかもしれない”
そうです。【難信此法】ま、信じらないよね、フツー。

文字数に限りがある為、いささか乱暴な説明申し訳ないです。拝

2018年7月5日 23:13
{{count}}
有り難し
おきもち

となりのトトロの世界のような山奥の田舎の小さな小さなお寺の住職をしています...

質問者からのお礼

転落院様、早速のご回答ありがとうございます! 

日々念仏をお唱えし、信心の獲得を目指したいと思います。ただ、念仏をお唱えするという条件を満たしていれば極楽浄土に行かせていただけるのであれば、若一日、若二日と、他力念仏を続けさせていただけばよいのかもしれないとも思いますが…。

転落院様、追記ありがとうございます!

難信此法…。信じたい気持は非常に強いのですが…。まだ確信には至れないのです><

念仏を続けつつ、法話などのご縁も大事にしていければと思います…。

「仏教全般」問答一覧

仏教をもっと学ぶ方法は?

こんにちは。 以前Googleで自分の悩みを検索したところ検索結果にこのサイトが出てきたことがあり、それ以来hasunohaを毎晩のように拝見しています。お気に入りのお坊さんをブックマークしているほどです。 生まれた時から仏教徒で、お盆やお参りなど特に考えずそのマナーに従って生きてきましたが、一方で神や仏、また心霊などの類は一切信じないたちです。 しかしながら倫理哲学の勉強は非常に好きで、現在もっとも興味があります。 きっかけは数年前心身共にとても傷つく出来事があり、以来リラクゼーションやアロマ、音楽など、私生活で自己を労る環境を整えていきました。しかしそれらは頭の中、つまり思想の面では自分を疲労から救ってはくれず、そのとき仏教が自分にとって非常に重要なものではないかと気づきました。(軽率な発言続いており誠に恐れ入ります。。) hasunohaをみているうち、信じるか信じないか、お祈りが届くか届かないか、極楽浄土に行けるか行けないか以前に、自分で自分を生きやすい方向に調整していく、大変学びの多い学問でもあることを理解しました。 長くなりましたが質問したかったことは、仏教を学ぶ上でビギナーの私におすすめできる学習方法を教えていただけませんでしょうか。 下記何でも構いませんので、回答いただけると嬉しいです。 ・おすすめの著書(専門用語が多すぎない、噛み砕いてある、原版の理解にふさわしい) ・近所のお寺に通うことも考えたが、用もないのに門を叩いて説法してもらうことなどはできるのか? ・合宿のような形式で学ぶ方法はあるか。どうすれば受けられるか。ある場合、実家は曹洞宗だが宗派を超えても学習はさせてもらえるか ・↑に似ているが、短期的に修行を受けることはできるか。どのお寺でもできるのか?できるお寺はどうやって探すのか ・その他いい方法があれば 可能ならば僧の方に直に毎日少しずつお話を受ける形式が望ましいですが、自分の周りでそう言った人は見かけないし難しいのでしょうか... よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 49
回答数回答 4

どちらの宗派、教えを信じれば良いのか

初めて質問を投稿いたします。 るると申します。 私は学生時代うつ病を患い、生きていくことのつらさ苦しさと死への恐怖に悩み、救いとなる教えを求めて父方の宗派のお寺である東本願寺へ参りました。 そこで、どのような人間であってもすくい取ってくださる阿弥陀様の教えを聞き、何があっても必ず助けてくださる存在があるということに強い安心安堵感を得ることができ、その後は真宗の教えを聞く機会を定期的に作り心の支えとしてきました。 数年後、大学は無事卒業し就職すると私は非常に忙しい部署に配属され、激務と過労で再びうつ病の兆候が出てきて頭の中があらゆる雑音でいっぱいになっているような感覚に陥りました。 その時心の支えとなる教えをまた求めてお寺に行こうと決心したのですが、何故か今回はいつもとは異なる直感のような感覚で母方の宗派のお寺である永平寺に参りました。 永平寺で禅の一端を体験し、その後禅に関する本を読む中で、あるがままを冷静に見つめ自らの内の欲や煩悩を統御する教えを学び深く感動し、禅の教えをこれから生きていく中で実践したいと思いました。 前置きが大変長くなりましたが、二つの宗派の教えと出会いわたしは今どちらを信じたら良いのか迷っております。 煩悩を否定せず阿弥陀様が必ず救うとする真宗か、煩悩を統御し坐禅を通して自ら悟りを目指す禅宗か、全く異なる教えに触れどちらも捨てられないと悩んでいます。 両方を信じる道もあるのでしょうか。 拙い文章になりましたが、僧侶の皆様から何か教えをいただけたらと思います。 何卒よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 44
回答数回答 3

徳について

徳について質問です。 徳を積む方法を知りたくて、動画サイトで、ある経営者さんの徳を積むことについてのお考えを聞きました。 ご本人に直接伺うことができないので、お坊さん方のお考えを聞かせて頂きたいです。 その方は、周りの人が笑顔になるように行動すればいい、周りの人を不快にさせるような行動はダメというような事を仰っていました。 故意に人に不愉快な思いをさせるのが良くないのは わかりますが、わざとでない場合はどうなるのでしょうか? 私は外斜視で、手術を受けたものの矯正できるギリギリ限界まで筋肉を切除しても治りませんでした。 電車に乗っている時など、自分では正面を見ているつもりでも、気が付くと向かい側に座っている人から凄い顔で睨まれていたりして ⁇ となり、後になって「あ、斜視で知らない間に私の方から相手の人を凝視したと思われたんだ」とわかるのですが、知らない人に「私、斜視なんです。あなたを見てたわけじゃないんです」と言うのも変ですし。 でも、人を不快にさせたのは事実なわけですから、この場合 私の徳はどうなるのか知りたいです。 人前ではなるべく下を向くようにしていますが、時々忘れて このようなことになります。

有り難し有り難し 22
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る